つちのこの巣穴

未確認生物による、未確認な世界の記録。

神戸はしご酒チャレンジ

 日に日に短くなる陽の光と引き換えに、冷たさを増した夜風が身を包む今日この頃、読者の諸君らはいかがお過ごしだろうか。街も凍てつくこんな季節に、ふと暖かな酒場を見つけたならば、入らざるを得ないのが人の性というものだろう。という訳で、先日私は、神戸はしご酒チャレンジという企画を行った。今回はその様子についてお伝えしたい。

 まずはしご酒チャレンジについて説明しよう。これは、テレビ番組「笑ってコラえて」内の企画である「ハシゴの旅」に着想を得て、私が友人と二人で始めたものである。一定の時間、一定の金額で酒場をハシゴしまくるという、いたってシンプルな企画である。長時間、限られた資金で、且つ街を徘徊し続けるという点で、ただの飲み会とは違う、なかなかアクロバットなスポーツとなっている。今回は昨年に引き続き、神戸・三宮にて2回目の開催となった。本家をリスペクトして今回は夜8時から、次の日の阪急の始発がある5時まで、約9時間のハシゴタイムを設けた(これの設定が後々大参事になるとはこのときメンバーの誰もが気づいていなかった)。また、今回は新メンバーとして、私と友人のほかに友人の彼女も加え3人でのハシゴとなった。こうして男女3人、総予算15000円、約9時間に及ぶハシゴの旅が始まった。

 待ち合わせの阪急三宮からまず一行が向かったのは、阪急三宮構内にあるスタンドバー・Gontaだ。

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 実はこの店、前回のチャレンジにおいて一番最後に来た店なのだ。前回のラスト店、という事で、初陣にはちょうど良い店であった。生中1杯190円と名物のビフテキ500円で、テンションは一気にMAXに。喧騒の中で賑やかに飲む。そんなスタンドである。

 さてGontaを後にし、一行は元町商店街へ。お目当ての店の隣にもう一軒立ち飲みが構えている。私たちの同い年ぐらいの(後で同い年だとわかるのだが)看板娘さんに話を伺うと、何とできてまだ3カ月とのこと!道理で内装がピカピカなわけである。しかし、娘さんのトークと常連の掛け合いは、まるで何十年も通ったなじみの店の様な雰囲気を醸し出している。冷えた中瓶と暖かな笑い声が絶えない、そんな立ち飲みであった。

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 元町から線路を抜け山手へと向かう。新神戸に、陽気なラテン店主の営むメキシカン・駄菓子バーがあったはずなのだが、生憎この日は閉まっていた(この店の話はまたいずれ話したい)。春日野道へ向かい、今回の旅で最もリピート率が高いだろうと思われる「のぞみ青果」さんを訪れた。

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 店名からもわかる通り、元は八百屋だったこのお店は、今でもその名残としてキャッシュオンのトレーに野菜かごを使っている。店内は、暖かな光と素朴な内装が何とも言えない居心地の良さを作り出している。そして、何といっても驚くべきなのはその値段だった。特にフードは破格で、おでんはタネ3つで100円という仰天価格だった。ちなみにこのおでん、この値段とは思えないほどしっかりと味が染みていて、友人の彼女はしきりにやばいやばいと連呼していた(普段はバカっぽく見えるので「やばい」は意図的に使わないようにしているとの事)。

 さてさて、そんなこんなで夜も更け、我々は三宮へ戻ってきた。といっても実は、ここからが本当にきつい時間だった。前日も朝6時に起きてインターンに出ていた私は下より、ほかのメンバーもそろそろ疲れが見え始め、口数もまばらになってきた。しかし、そんな私たちの目が醒めるような出来事がこの後あった。諸般の事情で店名は伏せさせていただく。

 午前2時過ぎ、私たちは三宮のある餃子屋へと入店する。注文を済ませ、彼女がお手洗いに向かうと、ふと私は店内を見渡した。というのは、店内の異様な雰囲気に気が付いたからだ。店の奥にいたのは、スーツを着た、10名程のスキンヘッドの男性たち。皆そろいもそろって頭を剃り上げている。最初は僧侶の集まりか何かかと思ったが、僧侶が夜な夜なこんな時間に宴会を開くだろうか?皆スーツ姿なのも不自然だ。そして何より、見るからにガラが悪い。そこまで考えて、私は考えるのを辞め、目を合わさないように注力した。私の勘が、彼らをヤの者だと言っているような気がしたのだ。ほどなくして、彼等は店を後にした。酔って丸まった背筋が久々に伸びた気分だった。

 そんな怖い思いもあったが、それ以降我々は順調にハシゴし、明け方5時、今回のチャレンジは終了した。トータルで9軒、総費用14889円だった。

 私は、酒場とは人の心が形になる場所だと思う。酒を飲んでリラックスすると、ついつい本音が溢れだす。友人と語らい、一人で思考に耽り、スポーツやゲームで時に盛り上がることで、私たちは、目に見えない心を、目に映る思いに変えている。酒はその為の魔法の道具といったところだ。不景気癖が身についてしまっている我が国だから、ちょいと立ち飲みで一杯、という事もなくなりつつある。しかしはしご酒を通じて得られる経験は何物にも、代えがたいものであるから、普段は宅飲み派の諸君も一度やってみてほしいと思う。

 では今回は、このあたりで筆を置きたい。ご高覧、感謝する。


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毎回の定番となった飲み代封筒。この中に、予算を入れて管理する。

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今回チャレンジのお供をしてくれた友人カップル。真ん中は私。

コンビニバイト

 至極個人的なことで恐縮だが、先日3年7カ月続けたコンビニでのアルバイトを退職した。今回は、自分の中の一つのけじめとして、この足掛け4年に及ぶコンビニバイト生活を文字にしたためたいと思う。

 大学1年の5月、そろそろ大学生活にも慣れ、バイトを始めようと思った。カフェやカラオケ、家庭教師や塾講師なんかも考えたが、ひとまずコンビニバイトから始めようと考えた。コンビニなら、接客から棚卸まで幅広い仕事ができるし、何なら高校生でも働ける環境だから、初めてのバイトにはちょうどいいと感じたからだ。高校生の頃から、大学時代は家庭教師のバイトをすると決めていた(これは漫画「めぞん一刻」の影響だ)ので、当初は半年くらいでコンビニバイトとは早々おさらばするつもりだった。

 そんな舐めてかかったコンビニバイトだったが、いざ始めてみると意外と忙しく、難しいことに気が付いた。コンビニの仕事というのは、一つ一つの仕事の量と質はそんな大したことはない。レジを打つ、揚げ物や中華まんを作る、商品を補充する、宅配便を受ける、正直どれもサルでもできる仕事だ。しかし、そのすべてを同時並行で、且つ滞りなく進めるとしたらどうだろうか?コンビニバイトは、いわば究極のマルチタスクだと思う。半年経って、ようやく仕事を一通り覚えた頃には、折角覚えた仕事のをここで辞めるのは勿体ないと感じるようになっていた。

 人間関係も良好だった。店のオーナーは、代々の個人商店をコンビニに鞍替えした経営者で、よく自分の哲学や経歴をシフト上がりに聞かせてくれたものだった。昼勤のパートのご婦人で、自らを私の「大阪の母」だと言って、気遣ってくれる方もいらっしゃった。彼等は、仕事だけでなく大学生活であった様々な機微を相談できるいい大人だった。それから、私自身も、大学や高校の知り合いをコンビニに勧誘して回った。一時は、深夜シフトのバイトメンバーの4分の3は、高校同期という、半ば藩閥みたいなものを形成した(そのせいで各々が帰省する盆や正月は、深夜のシフトに入れる人間が誰も居らず苦労したものだった)。結果、私は計6人の友人をコンビニへとリクルートした。こういう訳で、コンビニは私にとって非常に居心地の良い場所になっていった。

 振り返ってみると、私がこのバイトを続けてこれたのは、こうした人間関係によるところが大きいと思う。なかなか職場に馴染めずにバイトを転々としている友人の話を多く聞く中で、これほど長くバイトを続けられたのには感謝しかない。勿論、長くバイトを続けたが故に得られたものも多かったと思う。接客業、特に、老若男女、貧富や洋の東西をも問わない幅広い層の客が訪れるコンビニは、社会というものを知るのに最適な労働環境だったように思う。

 何だ此奴と思う客もいた(代表的なのは、商品をビニール袋に入れていいか尋ねると「要らん!」と怒鳴る客で、私は此奴をひそかに「イラン人」と呼んでいた。なおイラン・イスラム共和国に対する政治的意図は何ら含まれていないことをお断りしたい。)が、その分良いお客も多かった。この機会だから、最後にそのうちの一人として、「五円玉おじさん」のことを書き記しておきたい。

 毎回ショートホープを4つ買って、おつりを5円玉で渡すようにお願いする小柄な中年男性のお客がいた。私は彼の事を5円玉おじさんと呼んでいた。(余談だが、同じ時間帯に同じ商品、特にタバコを買っていく客は、いい悪いは別として案外店員に顔を覚えられるので、もしそれが気に食わない喫煙者の諸君がおられるならば、定期的に買う時間や銘柄や店を変えることをおすすめする。)或る時、シフト前に店前でタバコを吸っていると、5円玉おじさんが一服して居られた。喫煙者特有のタバコミュニケーションというやつで、おじさんと私はいろいろと言葉を交わしていった。最初は天気の話から始まり、次に会った時は野球、その次は政治の話、そして何回か目になって、おじさんは自分の身の上について教えてくれた。

 おじさんは大阪市内の町工場に勤めている。窓枠に使う蝶番を作る会社だ。おじさんの仕事は発注元からの指示を受けて、蝶番の図面を起こすこと。窓枠メーカーの指示があれば、朝でも夜でも図面を仕上げて納期までに製品を納入せねばならない。おじさんによれば、建材の納期は、ひとたび遅れると、建築現場全体の工程が止まりかねず、そのための追加人件費などを求められることもあるそうだ。中小企業が、そんな額の補償を吹っ掛けられてはひとたまりもない。だからおじさんはいついかなる時でも図面を描き続けなければならないのだ。

 愚痴を言うようにここまで語って、それからタバコの火を靴裏で消し、しかし先ほどとは違うトーンでおじさんはこう続けた。

「でもな、兄ちゃん。それが仕事やねん。一度メーカーの納期を無理や言うて跳ね除けたらもう仕事なんかあらへん。商売は信頼やからな。きつい納期課してきよって、頭来る時もあるけど、そんな時ほどやったろかって気持ちになって仕事できんねんな。」

 私は今でもこの言葉が忘れられない。ただ仕事に愚痴をこぼすのではなく、そこに美学を見出すおじさんを、素直に尊敬したいと思った。将来、私がいかなる職に就くかわからないが、この在りし日の5円玉おじさんの言葉を忘れないでいようと心に誓った。

 今回は、少々記事が長くなってしまった。しかし、これでも私のコンビニバイトの記憶は書き足りない。当たり前だ。4年間も同じ駅前の50坪程度の敷地にいたのだ。思い出が尽きるはずがない。これからも、折を見てこの記憶は書き残していくだろうが、今回はこのあたりで筆をおくこととしたい。ご高覧感謝する。

厚切り300gとんかつ

 先日、インターン先の会議終わりに社員の先輩に連れられて、長堀橋とんかつ屋さんを訪れた。その時の経験があまりに衝撃的だったので、普段は食レポなど滅多にしないのだが、今回はこちらを記事にしたい、

 訪れたのはとんかつ大喜さん。堺筋から西に入り、警察署を超えたところにある。連れてきて頂いた先輩いわく、他では見たことないようなとんかつが頂けるとのこと。ちなみにこの先輩はかなりグルメなお方で、この店以外にもいろいろなところを教えて頂いている。そんな先輩イチオシという事で、道中私の胸は高鳴っていた。

 先輩は「特選とんかつ超厚切り」を選択。私も同じものを注文した。そして出てきたのがこれだ。


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 思わず二度見した。厚さがとんかつのそれではない。二郎系ラーメン屋のいわゆる豚が、丸ごと揚げられているような厚さなのだ。私は耐えられずその分厚い塊にかぶりついた。するとどうだろうか、ローストポークを食べているかのようなしっとりと柔らかな食感が感じられる。旨い。これほどの厚さの肉をこれだけ柔らかく仕上げるのは大したものだ。

 さらにこの店、ライス、味噌汁、キャベツがすべてお替わり自由なのである。これだけの肉を目の前にして、日本男児が米を掻き込まずにいられるだろうか。結局私はご飯を4杯、味噌汁を2杯頂いた。

 とんかつを美味しくいただくためか、調味料として、辛子、ソースのほかに様々な風味の岩塩が用意されており、最後まで飽きることなく頂けた。ちなみに私は辛子で頂くのが大層気に入ったので、最後の方は殆どそれで食べていた。名古屋帝国植民地市民であるところの私としては、ここに味噌があればもはや完璧を超えて、黄金のエルドラド、ここが幻の桃源郷と相成るところであったが、まあそれは仕方あるまい。逆に言えば、これほどの肉に味噌などという俗物は不要という事なのか。悩ましい、私は逡巡している。

 まあ、ともかく、大満足して私たちは店を後にした。こんな調子で、先輩のおかげで今週だけで4回もご馳走にあやかっているので、有り難い話である。与えて頂いた活力で、更に労働にいそしまなければと感じた。

 では今回はこのあたりで筆をおきたい。ご高覧、感謝する。

 

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社会人野球

 約2週間ぶりの更新となってしまったことをまずお詫びしたい。本稿はまずその釈明から始めさせていただきたい。私は先月末、あるコンテストに出すレポートを執筆していた。そのコンテストは、入賞すれば賞金が入る上に、昨年の入選者には弊学の学生も居たので、これはひょっとするとひょっとするのではないかという思いがあり出品を決意したのだった。大学院への進学も決まっている身としては、文章を書く一つのいい機会だと思って書き始めたのだった。

 しかし、締め切りに追われないと仕事を始めないという情けない性分のせいで、結局締め切り1週間前頃まで放置していた。前述の通りに、私は平日昼間インターンで働いているので、私の生活は多忙を極めた。そういう訳で、とてもではないがブログを更新する暇などなかった。私のブログを楽しみにしておられる読者の諸君(そんな御仁がおられるかは定かではないが)には大変申し訳ないが、こういった事情を酌んでどうかご容赦願いたい。

 さてここからが本稿の本題である。昨日、レポートも書き終え生活に多少のゆとりも出てきたところで、大学のゼミの同輩から、大阪市西区の京セラドームで行われている「第44回社会人野球日本選手権大会」を観戦してきた。この日は18時半より、ホンダ鈴鹿大阪ガスの第三戦が行われていた。阪神ファンとしては、先日のドラフト会議で一位指名を勝ち取った近本光司選手が所属している大阪ガスの試合という事もあり、期待が高まった。

 そして今回は、自身の京セラドーム初観戦となった。いつもは甲子園だから、背もたれやドリンクピット、そしてなにより屋根があるという事で非常に快適だった。一方でビールが一杯750円とかなり高価なのが苦しかった。

 社会人野球の強豪同士の対戦ということで、開始前から好カードと目されてきたが、試合が始まってみると4回まで両軍無失点と、試合は投手戦の装いを呈してきた。同点のまま延長戦までもつれ込み、タイブレーク制が導入された12回の表、ホンダ鈴鹿のツーベースヒットが決定打となり試合は終了した。

 バックネット裏自由席という、プロなら5,600円ほどするであろう席で、手に汗握る試合を見れてチケットは1200円。非常に有意義な時間で満足だった。近本選手の足の速さも確認でき、来年以降の活躍が楽しみな一日だった。

 では本稿はこれにて終わることとしたい。ご高覧、感謝する。

 

ナナシス4th



 昨日、幕張メッセにてソーシャルゲーム「tokyo7thシスターズ」(ナナシス)の4thライブ「FES  AND YOUR LIGHT」があり、参加してきた。本稿では、それについてお伝えしたい。

 ナナシスは株式会社ドーナツより2014年から配信されているタイトルだ。2034年という近未来を舞台に、アイドルプロダクションの支配人となったプレイヤーがアイドルを育成しながら、消えかかったアイドル文化の再興を目指すという内容だ。興味のある御仁は、自身のスマホでぜひ取り組んでみて欲しい。

 さて、今回はこのナナシスの4thライブが、10/20,21の両日に渡って開催された。20日は所用で参加できなかったが、21日の回をサークルの先輩が手配してくれた。私にとってナナシスのライブは2.5、3rd、4U単独(4Uというのはナナシスに登場する音楽ユニットのことである)、メモリアルライブに続いて5回目となる。

 また今回は、渋谷マルイにてコラボレーションイベントを開催しているとのことで、そちらにも足を運んできた。ここでは、過去のライブの際の衣装の展示や、過去のグッズの再販や限定グッズの販売が行われていた。私も先輩のおつかいでマグカップを、自身へ耐水ポスターを購入した。


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 ライブの席はアリーナの前方左手外周ブロックと、比較的アリーナにしては見易い場所だった。特に今回は、トロッコを使って演者が外周を移動する演出があったため、見方によっては神席だと思えた。ライブ終盤で登場した山下まみさんがトロッコに載って再接近した際に指を指されたので、非常に高まった。

 セットリストも今回は非常に良かった。というのも、私がナナシスで一番好きな曲である「behind moon」が流れたのだ。この曲は、過去2回のライブでは流れず、約一年半ぶりのご無沙汰だったので、イントロが流れた際は高まり過ぎて頭を抱えてしまった。(behind moonがナナシス切っての名曲だと考える理由はまた稿を改めて説明したい。)その他、「SAKURA」「snow  in I love you」など私がナナシスで好きな曲しか流れなかったので、所謂バケモンのセトリだった。ここのところ個人的にナナシスのライブで満足するセトリに出会えていなかったので、今回は久々に高まれるものとなった。

 以上、今回はナナシスの4thライブに参加した感想を述べさせて頂いた。今回のライブの告知で、来年以降の様々な展開が明らかとなった。今後も注視していきたい。

 では、本稿はこれにて終わりとしたい。ご高覧、感謝する。

〈補足〉
f:id:tsuchinoco2205:20181022183114j:image連番者であるサークルの先輩が参加したフラワースタンド。現地にはこの他にも数十に及ぶフラスタが展示されていた。
f:id:tsuchinoco2205:20181022183117j:image物販のキャッシングトレーが4Uの柄になっていて可愛かった。

 

帰省

 10月に入ってからというもの、なかなか記事が書けないでいる。1週間に一度位は更新するつもりでいるので、読者の諸君らもその心持ちでいて欲しい。

 さて、私は本稿を米原から大阪に向かうJRの新快速の中で書いている。この週末、私は所用があり、実家のある岐阜へと帰省していたのだ。本稿では、その経緯について記しておきたい。

 事の発端はインターンだった。インターン先で住民票の写しを提出せねばならず、また私はビジネスバッグや革靴を実家に置いたままにしていたので、どうせなら親の顔を見がてら実家に帰るかという運びになったのだ。

 私が帰ってくるということで、昨日は愛知県・一宮に住んでいる祖父が実家に泊まりに来ていた。人が集まってくると我が家は基本的に酒がよく進む。今回も他聞に漏れず、浴びる程酒を飲んでしまった。朝起きるとビールとチューハイ合わせて10本強(祖父はこれに加えて日本酒も飲んでいる)開いていた。反省、反省。

 そして今日は天気がいいので土岐プレミアムアウトレットにショッピングでも行くかということになった。東海環状ができて以来、岐阜から土岐まで1時間強で行けるようになったので、我が家では土岐プは休日のちょっとした暇潰しに使われている。今回はアシックスでTシャツが1000円で売ってたので、ジムでのトレーニング用に一枚購入。本当は、リーバイスで型落ちのポロシャツが2000円で売っていたので、それも欲しかったのだが、生憎サイズの合うものがなかった。残念。

 その後岐阜に戻り、新たにスーツを購入した。インターンでスーツを着用する機会が増えたので、リクルートスーツ以外のバリエーションが欲しかった。私は大学の入学式の際と成人式の際にスーツを購入しているのから、リクルートスーツを除いてこれが3着目となる。社会人になればスーツを着る機会は無限にあるのだから買っておいて損はないだろう。因みに私はAB4号というかなり特殊なサイズなので、一般にスーツを買うときは高く付きがちなのだが、今回は特殊丈の売れ残りのセール品を購入したので、元値が6万近くする良いスーツを1万程で購入することができた。

 そんなこんなで、諸々を両親にたかり、米や野菜を強奪して実家を後にした。次の帰省は正月だろうか。

 では、本稿はこの辺りで終わることとしたい。ご高覧、感謝する。

 

テレビ窓口での口座開設

 インターン先で給与口座を三菱UFJ銀行に指定されたので、早急に口座を作らねばと思ったのだが、平日は件のインターンで時間が取れないため、果てどうしようかと思索していたところ、テレビ窓口口座開設というサービスがあったため、利用してみた。

 このサービスは、通常銀行窓口でしか取り扱えない口座開設などの手続きを、テレビ電話による遠隔通信で行えるようにしたものだという。平日の窓口営業終了以降や、土曜日祝日の手続きが可能なため、平日になかなか時間の取れない御仁にとってはありがたい。

 インターネット上で事前に必要事項を記入し、本人確認書類と印鑑を持って銀行へ向かうと、ATMほどの大きさの筐体と椅子のある、施錠可能なブースがある。タッチパネルを操作し、受話器を取ると、画面の向こうにオペレーターの女性が現れる。オペレーターの指示する通りに、筐体内の所定の位置に本人確認書類を提示すると、彼女がそれを確認し、必要書類をこちらに送付してくる。後は事前に確認していた事項に同意し、署名捺印をして、筐体に中に設置する。すると自動的に書類が回収され、一連の作業は終了だ。手続き自体は20分ほどで終了した。

 機械に仕事を奪われるといわれて久しい今日だが、銀行の窓口業務というのもだいぶ様変わりしていると感じた。一昔前までは、銀行での手続きというのは煩雑なうえに、時間の制約もうけるという点で大変厄介なものだったが、このテレビ窓口サービスさえあれば、時間の制約に関しては解消されるし、一方銀行側も、オペレーターを数か所の拠点に集約することで、全国の支店に配置する人材を最小限に抑えることができる。非常に優れたシステムだと感じた。

 ただ一つ、このテレビ窓口システムに対してモノ申したいことがある。それは、受話器の必要性だ。筐体には受話器が設置されており、オペレーターとの会話は、この受話器を介して電話のように行われる。従って書類を記入したり、捺印をしたりとする作業の度に受話器を置くか、或いは説明を受けながら片手で作業を行うことになる。これが大変煩わしい。それならば、予めスピーカーとマイクを筐体に設置しておく方がよいと思うがいかがだろうか。

 いずれにせよ、口座は開設されたので後はキャッシュカードを待つばかりだ。簡単な手続きで済んでよかった。

 では本稿はこれにて終わりとしたい。ご高覧、感謝する。