つちのこの巣穴

未確認生物による、未確認な世界の記録。

コンビニバイト

 至極個人的なことで恐縮だが、先日3年7カ月続けたコンビニでのアルバイトを退職した。今回は、自分の中の一つのけじめとして、この足掛け4年に及ぶコンビニバイト生活を文字にしたためたいと思う。

 大学1年の5月、そろそろ大学生活にも慣れ、バイトを始めようと思った。カフェやカラオケ、家庭教師や塾講師なんかも考えたが、ひとまずコンビニバイトから始めようと考えた。コンビニなら、接客から棚卸まで幅広い仕事ができるし、何なら高校生でも働ける環境だから、初めてのバイトにはちょうどいいと感じたからだ。高校生の頃から、大学時代は家庭教師のバイトをすると決めていた(これは漫画「めぞん一刻」の影響だ)ので、当初は半年くらいでコンビニバイトとは早々おさらばするつもりだった。

 そんな舐めてかかったコンビニバイトだったが、いざ始めてみると意外と忙しく、難しいことに気が付いた。コンビニの仕事というのは、一つ一つの仕事の量と質はそんな大したことはない。レジを打つ、揚げ物や中華まんを作る、商品を補充する、宅配便を受ける、正直どれもサルでもできる仕事だ。しかし、そのすべてを同時並行で、且つ滞りなく進めるとしたらどうだろうか?コンビニバイトは、いわば究極のマルチタスクだと思う。半年経って、ようやく仕事を一通り覚えた頃には、折角覚えた仕事のをここで辞めるのは勿体ないと感じるようになっていた。

 人間関係も良好だった。店のオーナーは、代々の個人商店をコンビニに鞍替えした経営者で、よく自分の哲学や経歴をシフト上がりに聞かせてくれたものだった。昼勤のパートのご婦人で、自らを私の「大阪の母」だと言って、気遣ってくれる方もいらっしゃった。彼等は、仕事だけでなく大学生活であった様々な機微を相談できるいい大人だった。それから、私自身も、大学や高校の知り合いをコンビニに勧誘して回った。一時は、深夜シフトのバイトメンバーの4分の3は、高校同期という、半ば藩閥みたいなものを形成した(そのせいで各々が帰省する盆や正月は、深夜のシフトに入れる人間が誰も居らず苦労したものだった)。結果、私は計6人の友人をコンビニへとリクルートした。こういう訳で、コンビニは私にとって非常に居心地の良い場所になっていった。

 振り返ってみると、私がこのバイトを続けてこれたのは、こうした人間関係によるところが大きいと思う。なかなか職場に馴染めずにバイトを転々としている友人の話を多く聞く中で、これほど長くバイトを続けられたのには感謝しかない。勿論、長くバイトを続けたが故に得られたものも多かったと思う。接客業、特に、老若男女、貧富や洋の東西をも問わない幅広い層の客が訪れるコンビニは、社会というものを知るのに最適な労働環境だったように思う。

 何だ此奴と思う客もいた(代表的なのは、商品をビニール袋に入れていいか尋ねると「要らん!」と怒鳴る客で、私は此奴をひそかに「イラン人」と呼んでいた。なおイラン・イスラム共和国に対する政治的意図は何ら含まれていないことをお断りしたい。)が、その分良いお客も多かった。この機会だから、最後にそのうちの一人として、「五円玉おじさん」のことを書き記しておきたい。

 毎回ショートホープを4つ買って、おつりを5円玉で渡すようにお願いする小柄な中年男性のお客がいた。私は彼の事を5円玉おじさんと呼んでいた。(余談だが、同じ時間帯に同じ商品、特にタバコを買っていく客は、いい悪いは別として案外店員に顔を覚えられるので、もしそれが気に食わない喫煙者の諸君がおられるならば、定期的に買う時間や銘柄や店を変えることをおすすめする。)或る時、シフト前に店前でタバコを吸っていると、5円玉おじさんが一服して居られた。喫煙者特有のタバコミュニケーションというやつで、おじさんと私はいろいろと言葉を交わしていった。最初は天気の話から始まり、次に会った時は野球、その次は政治の話、そして何回か目になって、おじさんは自分の身の上について教えてくれた。

 おじさんは大阪市内の町工場に勤めている。窓枠に使う蝶番を作る会社だ。おじさんの仕事は発注元からの指示を受けて、蝶番の図面を起こすこと。窓枠メーカーの指示があれば、朝でも夜でも図面を仕上げて納期までに製品を納入せねばならない。おじさんによれば、建材の納期は、ひとたび遅れると、建築現場全体の工程が止まりかねず、そのための追加人件費などを求められることもあるそうだ。中小企業が、そんな額の補償を吹っ掛けられてはひとたまりもない。だからおじさんはいついかなる時でも図面を描き続けなければならないのだ。

 愚痴を言うようにここまで語って、それからタバコの火を靴裏で消し、しかし先ほどとは違うトーンでおじさんはこう続けた。

「でもな、兄ちゃん。それが仕事やねん。一度メーカーの納期を無理や言うて跳ね除けたらもう仕事なんかあらへん。商売は信頼やからな。きつい納期課してきよって、頭来る時もあるけど、そんな時ほどやったろかって気持ちになって仕事できんねんな。」

 私は今でもこの言葉が忘れられない。ただ仕事に愚痴をこぼすのではなく、そこに美学を見出すおじさんを、素直に尊敬したいと思った。将来、私がいかなる職に就くかわからないが、この在りし日の5円玉おじさんの言葉を忘れないでいようと心に誓った。

 今回は、少々記事が長くなってしまった。しかし、これでも私のコンビニバイトの記憶は書き足りない。当たり前だ。4年間も同じ駅前の50坪程度の敷地にいたのだ。思い出が尽きるはずがない。これからも、折を見てこの記憶は書き残していくだろうが、今回はこのあたりで筆をおくこととしたい。ご高覧感謝する。