つちのこの巣穴

未確認生物による、未確認な世界の記録。

【つちのこヨーロッパ紀行⑦】イスタンブール⇒ローマ

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夜明け前のイスタンブール



 夜の終わりを告げるアザーンが鳴り響くよりも前、5時過ぎごろに我々は宿を出た。2日間お世話になったイスタンブールとのお別れの時が近づいていた。我々が向かうは、イスタンブール・サビハ・ギョクチェン空港。イスタンブールにある2つの国際空港のうちの一つだ。とはいっても、日本からの直行便は全てもう一つのアタトゥルク国際空港に発着するため、日本人には馴染みがないかもしれない。ちなみにサビハ・ギョクチェンというのは人名で、トルコの軍人で世界初の女性戦闘機パイロットだったそうな。ギョクチェン氏はムスタファ・ケマル・アタトゥルクの養子だそうで、親族でイスタンブールに二つも空港の名を冠している人物がいるというのはなかなか驚きである。

 

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サビハ・ギョクチェン氏(ウィキペディアより引用。)

 さて、このサビハ・ギョクチェン空港、実は旅人にはなかなかの厄介者なのである。というのも、兎に角行きづらいのだ。場所としては、イスタンブールのアジア側のかなり東にあり、かつ鉄道が通っていないのである(2019年2月現在、地下鉄が延伸して空港に直結する予定だったのだが。ちなみにイスタンブールには3つ目の新空港ができる予定なのだが、これも未だ開業していない。トルコのゼネコンには納期という概念がないのか?)。そのため、空港にいくためには、ハワタシュというシャトルバスに乗るか、路線バスを利用するしかない。しかし、観光地として多くの観光客が宿泊しているであろうイスタンブール旧市街には両者とも乗り入れておらず、発着している新市街、或いはアジア側へと何らかの交通手段で移動しなければならない。

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海峡高速鉄道マルマライ。

 交通渋滞が激しいイスタンブールで、バスで空港に向かうのはなかなかにリスキーである。とはいえ、あまりに早朝に出ても、ボスフォラス海峡を渡る手立てがない。前日の夜11時頃まで頭をひねって考えた案が、海底高速鉄道「マルマライ」の始発で海峡を突破し、路線バスで乗り込むというものだった。マルマライは、大成建設が建造に携わった鉄道で乗り心地も最高だった。地獄だったのは路線バスである。鬼満員状態でバックパックを背負ったまま立っているだけでも相当辛いのだが、そこにトルコ流のハイパー荒運転が加わるのである。空港に着いた時にはゲロ吐きそうになっていた。

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サビハ・ギョクチェン空港。

 空港に着いた私たちだが、苦難はまだまだ続いた。今回はペガサス航空というトルコのLCCを使ったのだが、預入手荷物を巡ってひと悶着あったのである。普通、預入手荷物はチェックインが済むと係員の後ろを流れるベルトコンベアーに乗って、客からは見えないところに流れていくものだが、我々が指示されたところではフツーにカウンターの隣の、それも普通の客がガンガン横を素通りしている籠に入れておくようにとのことだった。誰でも盗めるやん。結局セキュリティー抜けるまでずっと籠を監視していた。この空港、WiFiは飛んでないし、売店はほぼないし、結構難儀した。こんな訳で、へとへとになりながらトルコを後にしたわけだが、空港で暇を持て余してる時にトイレ掃除のおっちゃんがめっちゃ日本人好きで話しかけてきたのでまあ時間は潰れた。なんでかわからんけど、この国めっちゃ日本人好きなんだよな。ま何だかんだで俺もトルコ好きになったし、まあええか。

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ペガサス航空の機内食LCCだけど、受託手荷物有で席指定だとサンドイッチが付いて8000円くらい。めっちゃ安い。

www.flypgs.com

 そんなわけで、二時間ちょいのフライトを終えて、我々は一路ローマ・フィウミチーノ国際空港へ。私はこの旅で二度目のEU圏入境である。入国審査のおっちゃんが何だコイツみたいな顔してたけど、まあなんとかなった。んで、今度は高速列車でローマ市内まで寝てる間に爆速で移動。アクセス良すぎて涙した。やっぱ国際空港はかくあるべきだ。

 ちなみに空港の入国ロビーに着いた瞬間からかなりビビってた。というのも、イタリアのスリの多さは折り紙付きという情報をクソほど聞いていたから。特に空港や、ローマのテルミニ駅はマヌケな観光客が大勢訪れるからガチで気を付けろとの情報があったからである。今回の旅は親族には内緒なので、何かトラブルが起きたら一発アウトである。結果として死ぬほど警戒していたおかげもあって、何にもトラブルはなかった。

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ローマ・テルミニ駅の中。イタリアは近代以前から街が出来上がってて、鉄道が市内に乗り入れられないので、たいていの都市の大きな駅はスイッチバック構造になっている(阪急梅田駅とか近鉄名古屋駅みたいな感じ)

 ローマという街は、様々な時代の歴史が詰まっていてなかなか面白いのだが、今回ローマには3日間滞在する予定だったので、初日にサンタマリア・マッジョーレ教会やヴィットーリオ・エマヌエーレ記念堂など比較的近世・近代のもの、2日目にコロッセオフォロ・ロマーノといった古代のもの、3日目にバチカンとその周辺を見物しようという運びとなった。

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サンタマリア・マッジョーレ教会。

 

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ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。

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パンテオン

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スペイン広場。現在はジェラート食べるどころか階段に座るのも禁止です。



 まあいろいろ見物したんだけども、一々感想を書いていくとキリがないので概観だけ。まず、教会系。イスタンブールで見たコンスタンティノープル教会がガチガチ東方正教会なので、ステンドグラスとかどでかいキリスト像がないんだけども、こっちにはそれがあってなんだか豪華。やっぱカトリックだね。んで、次にスペイン広場とかトレビの泉ね。クソ混んでて観光どころじゃないわ。7月から、スペイン広場の大階段での座り込みが禁止になったようだけど、まあ行ってみりゃそらそうだわなとなるわ。ほんで、私が一番おすすめしたいのが、ヴィトーリオエマヌエーレ2世記念堂なんだけども、これがマジでいい。まず人が居ない。それからローマ市内を一望できる。そしてタダ。何をするにも人を掻き分け金を払わにゃならんローマで一番いい場所。ローマに行ったらぜひ行ってみてほしい。

 まあご存知の人はご存知なんだけども、オタクなんで、ローマと聞くと「ガンスリンガー・ガール」を思い出すよね。すごいよマジで。街並みがどこ見てもその雰囲気。1本でも裏路地入ればマジで公社の人間に出くわしそう。てな感じで非オタのお友達二人をよそに密かに聖地巡礼的ななにかに勤しんでた。ちなみに、イタリア観光これからマジでアニメの話ばっかりするから、先に謝っときます。ごめん。

 

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何度も言いますがスペイン広場で座っちゃダメです。

 そんな訳で、朝からクソほど移動しまくって、かつローマでもそこそこ観光したので割りかしクタクタ。スペイン広場近くのトラッテリアで飯食ってホテル帰って爆睡しましたとさ。

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パスタうめー!!けどサイゼの3倍ぐらいする…サイゼは偉大なり。

drive.google.com

(ヨーロッパ旅行⑦ ローマ中編に続く)

関東⇔関西の移動でベストな交通手段は何か

 台風の接近で、このところの暑さも少しは和らいだ今日このごろ、読者の諸君はいかがお過ごしだろうか。世間はお盆休みに入り、読者の多くも帰省や旅行で居所を離れるていることだろう。バス・新幹線・飛行機・マイカーと多くの交通手段がある中で、諸君はどれを使っただろうか。本稿では、就活やイベントで様々な交通手段を用いて関東と関西を移動した私が、それぞれの交通手段のメリットとデメリットを比較検討してみたいと思う。意外とこういう網羅的なネット記事は少ないので、何らかの役には立つとは思う。

1 関東⇔関西の移動方法

 関東⇔関西の移動方法は多岐にわたる。まずオーソドックスな方法として、①高速バス、②新幹線、③飛行機の3種類がある。それに加え期間限定で④JR在来線(青春18きっぷ利用)、⑤自家用車での移動、⑥徒歩・自転車の6種類考えられる。このうち、⑥に関しては、実現性がかなり乏しいので、今回の議論の対象からは除外する。(やりたい人はやってみてほしい。旅としてはとても面白いものになるだろう。)以下、それぞれの移動方法について検討を加える。

2 高速バス

 高速バスは、関東⇔関西を最も安価に移動することができる交通手段である。4列夜行・平日通常期であれば、大阪駅(梅田)⇔東京駅(有楽町)で最安1500円で移動できる。このため学生や若者から絶大な支持を受けていると思われる。実際筆者もジリ貧の際には非常に重宝していたし、客層も8割方が若者だった。しかし、安さがずば抜けている反面、その他の面で制約が多い。以下、筆者が高速バスを使って感じたメリットとデメリットを比較してみたい。

・メリット① 安い

 とにかく安いのが高速バスの強みである。特に夜行バスで平日に乗れば安さが頭一つ抜ける。私がよく利用していたのは、さくら観光・ユタカライナー・杉崎観光バス当たりの4列シートで、おそらく関東関西夜行路線で最安であろうと思われる。さくら観光は会員登録しておけば乗車の度にポイントが溜まり、10円単位で値引きに使える。安い運賃がさらに安くなるのである。

https://www.489.fm/

・メリット② 早朝到着が可能

 夜行バスに限っての話だが、翌日の朝早い時間帯に予定がある場合、新幹線や飛行機の始発に乗って移動するより圧倒的に早い時間に現地に着くことできる。さらに言えば、東京駅・新宿駅・梅田駅・なんば駅といった大きな駅の周辺に到着するため、そこから目的地までの移動もスムーズに行く。

・デメリット① 疲れる

 高速バス最大の欠点としては、とにかく疲れることである。移動時間は8~10時間と長く、しかも夜行の場合、消灯以降は寝る以外にすることが無くなるため、体感時間は更に長くなる。夜行バスで疲れないためには、兎に角眠ることである。対策としては、まず①耳栓とアイマスクを100均などで準備し、外界の刺激をシャットダウンすること、②乗車の1時間前くらいに睡眠導入剤を服用して睡眠の準備をすることが挙げられる。睡眠導入剤皇漢堂製薬のリポスミンを使っていた。アマゾンでまとめ買い対象になると1箱300円程度で購入できるため非常に安価である。

 

【指定第2類医薬品】リポスミン 12錠 ×5

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・デメリット② 隣席の乗客の態度に影響される

 これはどの交通手段にも言えるが、隣席にマナーの悪い乗客が乗った場合は不幸である。高速バスは移動時間が8~10時間と長いため、この影響がより強く出てくる。対策としては、①まず偶数人で予約して並び席を確保する、②3列独立シートを予約するという回避方法があるが、どうしても一人で四列夜行バスに乗らなければいけない場合はなるべく早く乗車することをおすすめする。そして窓側の席を予約し、肘置きを下して睡眠の体制を整えてしまうのである。こうすることで、隣にどんな乗客がこようとも、最低限のパーソナルスペースは確保できるし、更に多くの問題についてはわれ関せずということになる。そして翌朝降車する算段になってようやく隣客と顔合わせであるから、ストレスはこの上なく少ない。

・デメリット③ 乗降場所が分かりづらい

 格安高速バスは往々にして辺鄙な場所に停留所があることが多い。例えば梅田のプラザモータープールは、格安高速バスの停留所として有名であるが、場所は梅田芸術劇場の目の前と、ほぼ中津といっても差し支えない場所にある。梅田と名が付くものの、各線梅田駅からは10分程度徒歩でかかるため余裕を持って行動することが望ましい。基本的には、どこの停留所も駅から徒歩10分程度の場所にあるため、だいたいバスの出発時刻20分程度前に周辺駅に到着するべきである。方向音痴でどうしても場所にたどり着けないだろう人は、多少値は張るがJR高速バスを利用するとよい。JR系列だけあって、本当に駅の目の前で乗り降りするため、よほどのことが無い限り乗車できるだろう。

・デメリット④ 値幅が乱高下しやすい

 基本的には高速バスは関東⇔関西の移動手段において最安値を叩きだすのだが、これも直近の予約だったり、週末・祝日・ハイシーズンの予約だと値段が跳ね上がることになる。高速バス比較サイトの「高速バス比較なび」を利用して最安値を見てほしい。高速バスは、上記の様なデメリットがかなり大きいので、価格という最大の強みが失われるようでは、ほかの交通手段を検討すべきである。個人的に感覚だが、私の場合は最安値が新幹線の半額である7000円を超えてくるあたりが選択の切り替わりだと見ている。

www.bushikaku.net

3 新幹線

 新幹線は、おそらく関東⇔関西の移動方法で最もポピュラーな交通手段である。時間がないとき、上京が急に決まった時には私は利用することにしている。

・メリット① 手軽で速い

 新幹線の最大の強みは、その手軽さである。鉄道という交通手段の特性上、飛行機の様な煩雑な手続きは必要なく、思い立ったらすぐに乗ることができる。そして本数が多いため、予定に合わせて細かく調整できる。移動時間自体も、2時間半と非常に早く、更にJR在来線との乗り継ぎもスムーズに行えるため、最終目的地までの総移動時間は最短である可能性が高い。

・メリット② 値幅の動きが少ない

 繁忙期と通常期の違いはあるものの、基本的にいつ予約しても運賃が変わらないことは新幹線が他の交通手段に勝っている大きなポイントである。このように、新幹線はそのほかの交通手段に比べてあれこれと考える手間が圧倒的に少ない。交通手段に考えを巡らせていられるほどの時間がなく、且つ多少の金額を払うことが可能な場合には、新幹線は最も効率的な移動手段となりえるだろう。

・デメリット① 高い

 新幹線の移動は、基本的に片道14000円程度かかり、学生にとってはかなり高価なものとなる。このため、もし新幹線を利用することが事前にわかっているのであれば、所属している教育機関で学割証を発行してもらい、学割価格で乗車するのが最も望ましい。このとき、自動券売機は使えないため、もし出発時に切符を購入する場合は時間に余裕を持って駅に到着する必要がある。学割価格は、東京⇔新大阪間で11870円(自由席・通常期)と、JRが提供するどんなサービス切符よりも安く上がる可能性が高い運賃である。そのため、学生で新幹線を利用する場合は有無を言わさず学割を使うことをお勧めする。

 もし出発までに学割証を発行する時間がないという場合には、JR東海ツアーズが販売するぷらっとこだまを利用するという手もある。これは、東海道新幹線の各駅停車号であるこだまに乗車する代わりに、通常チケットと比べて格安で移動できるというものである。東京⇔新大阪間では、10500円と学割より安く移動できる。しかし、この場合の移動時間は4時間となり、スピード感では若干劣る。更に、ぷらっとこだまは厳密には切符ではなく旅行商品のため、制約も多く、予約も前日までしかできない。上記に挙げた新幹線のメリットをほとんど相殺してしまうのである。こうした点から、私はぷらっとこだまの利用を専ら新大阪⇔名古屋の移動に使っている。

www.jrtours.co.jp

4 飛行機

 実はこの頃私が一番利用している交通手段が飛行機である。多くの場合、新幹線より安く、且つ高速バスより快適に移動できるのが飛行機だ。むろん、飛行機が好きという個人的な感情がベースにあることは確かだが、それ以上に飛行機が便利である理由を諸君にお伝えしたい。

・メリット①座っている時間が短い

 関東⇔関西の移動であれば、所謂「4時間の壁」の範疇に収まるため、単純な移動時間の総量では飛行機と新幹線の間に大きな差はない。しかし、両者の決定的な差は、座っていることを強いられる時間に現れる。新幹線は、2時間30分の移動時間のほぼすべてを座席で過ごすのに対し、飛行機は、たった1時間座っているだけでいいのである。新幹線では、隣で酒盛りしているサラリーマンや、崎〇軒のシウマイ弁当や5〇1の肉まんを食べているマダムが居た場合、かなりの忍耐力が必要だが(そういう時は対抗して自分も食べればよいのだが)、たった1時間弱のフライトで弁当を広げたり、酒を飲んだりすることは殆どありえないので、往々にして、飛行機の方が快適に過ごせる率は高いように思われる。

・メリット②新幹線と比べて安い

 高速バスほどではないが、飛行機も比較的安価な交通手段という事が言える。現在、関東⇔関西の航空路線定期便を運航しているのは、レガシーキャリアJALANAスターフライヤースカイマークと、LCCPeach、バニラエア、ジェットスターである。このうち、レガシーキャリアの4社には、早期購入により割引運賃で搭乗できるプログラムが存在し、7000~10000円程度で飛行機に乗ることができる。LCCの安さは言わずもがなだが、時々プロモーションでやっているキャンペーンセールでうまくチケットを取ることができれば3000円程度で搭乗することも可能なようである。(ちなみに私はこの手のプロモーションに一度も当たったことが無いので、本当にそんなチケットがあるのかどうかは知らない。)

 しかし、高速バスと同様、これらの割引運賃は搭乗日が近づいてくるにつれて高くなり、最終的には新幹線の普通運賃より高くなってしまう。もし、直前に移動が決まった場合、学生に限って言えば学割を使ってお得にチケットを取ることをお勧めする。学割チケットは、当日に座席に空席がある場合、普通運賃から大幅に安い価格で飛行機に乗ることができるチケットである。これを利用するためには様々な制約がある。ANAの場合、まずマイレージプログラムの会員で、更に空港で生年月日登録をすることが必要になってくる。また、正月や盆などの繁忙期には学割運賃の設定がない場合もあり、当日まで粘った挙句席がなかったという事態も無くはない。こういう理由から、もし学割チケットを利用して飛行機に乗ろうと考えている場合には、事前に航空会社のHPなどで情報収集を行い、最悪の場合新幹線の利用も視野に入れて計画を立てるべきである。

www.ana.co.jp

・メリット③ マイルがたまる

 これも言わずもがなだが、JALANAを利用する場合マイレージプログラムの会員になっておけばマイルがたまる。しかし実は、独自のマイレージプログラムがないスカイマークLCCを搭乗する場合にもマイルがたまる場合がある。デルタ航空が行っている「ニッポン500マイルキャンペーン」だ。このプログラムでは、日本の国内線を利用した場合に、乗降地や航空会社に関わらず、年10便に限って1便につきデルタのスカイマイル500マイルを獲得できるというものである。前提としてデルタのマイレージ会員になっておく必要はあるが、たったそれだけで最大5000マイルを獲得することができる。ちなみに、デルタは日本の航空会社が所属していない航空連合であるスカイチームに所属しているため、ワンワールドJALスターアライアンスANAに搭乗してこのプログラムの適用を受けた際には、二つの航空連合のマイルを二重で獲得することができるのである。

ja.delta.com

・デメリット① 空港までの移動が遠い

 新幹線や高速バスは、都市の中心部まで乗り入れることができる一方で、飛行機は空港までの移動を考慮に入れなければならない。伊丹や神戸、羽田といった都市圏に比較的近い空港でも移動に数百円から1000円程度、時間にして30分から90分程度はかかるし、関空や成田といった遠い空港に至ってはそれ以上の時間と金がかかる。こうした理由から、もし交通手段として飛行機を検討する場合には、家が近くにあるなどの特殊な事情がある場合を除いて伊丹・神戸⇔羽田での定期便をお勧めする。梅田から向かう場合、伊丹空港までは阪急と大阪モノレール利用で420円、神戸空港まで阪急・阪神ポートライナー利用で650円でどちらも1時間以内で移動できる。羽田からは品川まで京急利用で410円で移動できる。

・デメリット② 手続きや待ち時間が長い

 新幹線や高速バスと比べると、搭乗に係る手続きや待ち時間が煩雑なのが飛行機の欠点である。国内線の場合、チェックインは多くの場合出発の20分前に閉まるので、余裕を持って3,40分前には空港に到着したい。しかしそうすると、手荷物検査を別としても、20分程度の空き時間が生まれる。ここでの時間の潰し方が問題となる。航空会社の上級会員になっている人は航空会社のラウンジにでも行けばいいのだが、おそらくそんなブルジョワな学生はほぼいないだろうから、ここではゴールドカードを取得してカードラウンジを利用する方法を提案したいと思う。

 VSA・Masterのゴールド以上のステータスカードや、アメックス・ダイナースカード保持者が無料で使える空港ラウンジがカードラウンジである。ラウンジ内では無料のドリンクや、WIFiを利用することができる。通常上記のカードは、学生が持つには少し高い年会費と厳しい審査があるため、なかなかハードルが高い。しかし飛行機をよく利用し、ラウンジをどうしても使いたいという学生には、楽天ゴールドカードをお勧めする。このカードは、年会費2160円と他のゴールドカードに比べて圧倒的に安い年会費でカードを保持することができる。楽天カードの上位ステータスには、全世界の空港ラウンジを利用できるプライオリティパスが付いたブラックカードが存在するため、このゴールドがその足掛かりとして機能するというメリットもある。問題は学生の身で審査に通るか否かという点であるが、そこはほかのカードでクレヒスを積むなどして頑張って信用力を高めてほしい。

www.rakuten-card.co.jp

・デメリット③ 天候による欠航・遅延リスクが高い

 地を這って移動する他の交通手段と違って空を飛ぶ飛行機は、天候などの外部要因リスクに大きく影響される。こればかりはどうしようもないので、絶対に外せない用事の場合は新幹線を利用するのが良いだろう。

5、JR在来線(青春18きっぷ利用)

 貧乏旅におなじみの青春18きっぷが利用できる期間には、JRの在来線のみを利用した移動も可能である。東京駅からだと、熱海~(興津・掛川)~浜松~豊橋~大垣~米原を経由してだいたい10時間程度で大阪に着くことができる。新幹線や飛行機は単なる移動という側面が強いが、ゆっくりと鈍行列車で車窓を眺めながら移動ができるこの交通手段では、普段味わえない旅の風情を感じることができるだろう。

・メリット① 安い

 青春18きっぷは5枚綴りで11850円で、1回あたり2387.5円で利用できる。つまり、東京⇔大阪間を一日で移動する場合、高速バスに匹敵するコストパフォーマンスを叩き出せるのである。更に、このきっぷが利用できる時期は高速バスのハイシーズンであるため、高速バスで最安値をとれなかった場合の代替手段としても機能する。

・メリット② ルートを自由自在に組むことができる

 JR在来線を使って関東と関西を移動するルートは無数にある。一番オーソドックスなのは、東海道本線を使っていく方法だが、これに加えて東京⇔名古屋間を中央線経由で移動したり、名古屋⇔大阪間を関西本線紀伊本線経由で抜けるルートもある。時間はかかるが、東京から富山に抜け、高山線経由で名古屋に出るルートも考えられる。このような自由なルート設定で移動すれば、それはもはや移動ではなく一つの旅になるだろう。青春18きっぷは途中下車が可能であるから、気になる街にふらっと立ち寄ってみるのもよいかもしれない。きっとそこには、新幹線や飛行機では見つけることのできない新たな発見があることだろう。

・デメリット① 長くて座席取り煩雑

 高速バスと同様、移動時間が極めて長いのがこの移動手段の欠点である。最短で10時間、ルートを変えればそれ以上かかるので、時間と心にゆとりがなければなかなか難しい。東海道本線経由の場合、熱海~浜松間の静岡ゾーンと米原~大津の滋賀ゾーンは景色が単調になりがちであり、極めて退屈になる。暇つぶしの道具を何かしら準備しておくのが吉だろう。加えて、高速バスと違って、座席が指定されているわけではないので、乗り換えの度に熾烈な席取り合戦を繰り広げる必要がある。在来線を乗り継いで移動する場合、これらに耐えうるヴァイタリティが必要だ。

 

6、マイカー・レンタカー

 私自身はペーパードライバーで自家用車も持っていないので使った事はないのだが、当然車を使った移動も考えられる。しかし、8~9時間に及ぶロングドライブで、高速代・レンタカー代・ガソリン代がかかることを考えると、一人での移動でこの交通手段をとるのは現実的ではない。

・メリット① 大人数で行くときに便利

 公共交通機関での移動には、マナーを意識する必要があるが、車の中ではどれだけ騒いでも問題ない。仲間内で気兼ねなく盛り上がりながら移動したい場合にはよい手段だろう。人数が多ければ多いほど、1人当たりのコストも少なくなるし、運転も交代で行えば、事故リスクを軽減できる。

 

以上のように見てみると、それぞれの交通手段が全て一長一短であることが分かる。従って、最終的な選択は各々の価値観によるところが大きいかもしれない。まとめとして、以下の様に示しておきたい。移動の多い学生諸君の何かの参考になればと思う。

【まとめ】

・とにかく最安値を決めたい⇒高速バス(通常期)・JR在来線(繁忙期)

・確実に早く着きたい⇒新幹線

・煩雑な手続きはしたくない⇒新幹線

・長時間座っていたくない⇒飛行機

早く着きたいが、なるべく安く抑えたい⇒飛行機

・移動も旅として楽しみたい⇒JR在来線

  • ・大人数でワイワイしながら移動したい⇒マイカー・レンタカー

 

 

ヨーロッパ旅行⑥ イスタンブール

 2月12日 場所;イスタンブール 天気;晴れ

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宿の朝食。トルコもヨーグルトやチーズなどの乳製品が多い。後干しイチジクが美味かった。

  朝焼けが瞼の裏に差し込むより先に、イスラム世界特有の詠唱であるアザーンの響きで目が醒めた。イスラム教国では夜明け前に必ずこれが流れるらしい。目覚ましを買わなくてもいいものだから、旅行者にしてみれば大変ありがたいものである。

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朝焼けに染まるブルーモスク。

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トプカプ宮殿内部。



 朝食を食べ、朝の人がいないうちにブルーモスクを見学し、その後トプカプ宮殿に向かう。トプカプ宮殿とは、オスマン帝国の皇帝が過ごした居城兼政庁で、ボスフォラス海峡を見渡せる旧市街先端の高台の上にある。前日に見たドルマバフチェ宮殿はオスマン末期の宮殿ということで、ヨーロッパ建築の様な面持ちもあったのだが、こちらはやはり「イスラムの国に来たな」と思わせる佇まいである。

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青い空に白い大理石がよく映える。

 下町で軽く昼食をとった後、スレイマンモスクに向かう。おそらくイスタンブールで最も美しいモスクだと感じた。大理石で作られた真っ白なミナレットは、イスタンブールの群青の空によく映える。やはりオスマン最大の勢力を誇ったスレイマン一世の御代に作られたモスクである。
 私は今回の旅にいくつかのテーマを持っていた。その一つは、先の記事で書いたように「ルネサンス絵画と近代西欧絵画の比較」であるが、もう一つは「東西ローマ帝国帝都の比較」である。この比較をする上で、キリスト教の視座を欠かすことはできない。この後ローマでカトリックの総本山であるバチカンにむかうため、イスタンブールでもそれに対応する東方正教会の総本山であるコンスタンティノープル総主教庁へと向かった。

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ちょっとさびれた感じのコンスタンティノープル総主教庁


 コンスタンティノープル総主教庁は、この都がイスラムの手に落ちた今となってはあまり有名ではないようで、観光ガイドはおろか、地元のタクシードライバーですら知らない様子だった。実際に行ってみても、何処を歩いても人でごった返している旧市街中心部と比べると閑散としていた。内部は東方正教らしく、イコン美術と幾何学模様で飾られており、後に見るカトリック的な宗教芸術とは異なった赴きを表していた。ローマ帝国からビザンツへ、ビザンツからオスマンへというイスタンブールの歴史を感じる事の出来る場所だった。

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イスタンブールの隠れた名物・サバサンド。サバの塩焼きをバケットで挟んだだけの簡単フード。普通に白米がほしくなる。

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船の乗客が餌をやりまくるもんだからカモメが大挙して押し寄せてくる。

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エミノミュは常に人でごった返しているので、スリに注意。

 船着き場のあるエミノミュに向かい、名物のサバサンドをかじりながらボスフォラス海峡クルーズに参加する。このクルーズ、約90分でボスフォラス海峡を周遊して20TL=400円と超お得なので、読者の諸君もトルコにお越しの際は是非参加してみてほしい。いい景色を見たいがために窓際に座りすぎると、まれにカモメの糞が空から降ってくるので、それには注意してほしい。(友人は命中した。)

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いろんなシーシャ。


 せっかくイスラム世界にやってきたのだから、シーシャが吸いたい!とのことで、(まあ梅田でも吸っているのだが)スルタンアフメットに戻りシーシャバーへ。日本や欧米では、シーシャと聞くとクラブやスポーツバーでヒッピーな若者が吸っているというイメージだが、本場イスラム世界では、普通のおじさんたちがコーヒー片手に談笑しながらぷかぷかやっているといった感じで、怪しげな感じは一切なかった。ちなみに1回60TL=1000円と格安だった。 (梅田のよく行く店は1500円である。)
 最後にトルコ風アイスを食べ、我々は帰路に着いた。明日はいよいよ、イタリア・ローマに向かう。私にとってはこの旅行二回目のEU圏入境である。まだ見ぬヨーロッパの大地に期待をしながら、私は床に臥した。



沖縄について

 先週末、大学院の同輩と飲む機会があり、彼が沖縄出身ということで沖縄料理居酒屋に行ってきた。なかなか普段できない経験だったので、後学のために書き残しておきたいと思う。

 時刻はそろそろ深夜0時に差し掛かろうとしていた。同輩を含む大学院の仲間内での飲み会に参加した後、まだまだ飲み足りないと二人で駅前を彷徨い歩いていたところ、「沖縄料理、あります!」との立て看板を発見。沖縄生まれの同輩の郷愁にかられ、入ってみる。

 入店一番、話のタネに「こいつ沖縄出身なんすよ」と店主に同輩を紹介すると、店主より先に奧で飲んでいた客の御仁が話しかけてきた。「兄ちゃん、うちなーんちゅ?」(うちなーんちゅとは沖縄の人の意。ちなみに、沖縄の言葉は全部後ろにアクセントがあり、語尾下げで読まれるとテンションが下がるとのこと。同輩談。)と彼が聞き、そうだというと、となりに来いと招かれた。

 彼は、沖縄・八重山の生まれで、現在は大阪や岐阜(!)を拠点にアーティスト活動をしている、30代半ばの男性だった。沖縄の若人が訪れたという事で、濃密な沖縄方言による沖縄トークに花が咲いた。(勿論私には1ミリもわからないが)そして話ついでに、三線で沖縄民謡を弾いて聞かせてくれた。そうこうしていると、店に居たほかの客たちも集まってきた。閉店時刻はとっくに過ぎていたが、店主もうちなーんちゅ達の大集会を楽しんでいるようで、宴はまだまだ続いた。

 沖縄と聞くと、やはり私は自らの研究分野である基地問題の話が頭をよぎる。政治と宗教と野球の話は日常生活ではするな、とよく言われるが、やはり研究者の端くれとして語らずには居られない。期せずして話題はその流れになった。彼は、自分は八重山の生まれなので基地には直接の関係はないが、と断ったうえでこう続けた。

 「沖縄人は先祖の教えを大切にする。俺が沖縄戦を生き抜いたばぁばから教わったのは、『いのちこそ宝』という思想だ。基地があろうとなかろうと、それは譲れない。自分や、自分の家族の命を脅かすものは、外国でも、基地でも政府でも許さない。」

 なるほど、凄みのある議論である。勿論それはその通りである。何も、米軍基地は事故を起こして我が国に危害を加えるためのものではない。私は、①沖縄の基地は確かに問題があるとしたうえで、②それを解決するためにはなぜ米軍は沖縄に基地を置き続けるのかを考察し、ひいては③アメリカの東アジア戦略自体を見渡すことが必要である、と自らの見解を述べた。すると彼は、以下のように語った。

 「確かに、日本政府の理屈も、アメリカのいう事もわかる。基地が沖縄を守ってくれている、という理屈も多少は理解できる。しかし、一度戦ったかつての敵国の軍隊が、自分らの島で飛行機飛ばして、それであなた方をお守りしていますよ、といってそれを信用できますか?感情的かもしれないけど、感情に従えばそれは納得できない。」

 うーん、私はうなってしまった。

 

 私が彼との議論の中で思ったのは、我々は沖縄県民に対して、日本或いは東アジアの一市民といった非常にマクロな視点で説得を試みがちであるが、それは根本的に議論の前提として不十分である という点である。沖縄県民とて、恐らく上記の様なマクロ的な視座はあるだろうが、その上位には沖縄県民としての利益と価値がある。「私たちのための利益(=国家利益)」という議論の際の「私たち」に対する内包度は、残念ながら国民一人一人に対して同等ではない。加えて、沖縄の民族的アイデンティティは国内のほかの地域とは比べ物にならないほど強い。自らを「うちなーんちゅ」と呼称し、他の地域を「内地」、「本土」と呼ぶこの表現が、沖縄特有のものであることは言うまでもない。従って、我々は、少なくとも基地問題においては沖縄を、「我々」に引き入れて議論をしてはならない。沖縄に基地があることで得られる安全保障上の利益は、沖縄に限らず日本全国(あるいは東アジアの諸外国も)享受するが、基地コストを負担するのは沖縄だけである。そもそも利害が異なるのであるから、その前提に立って議論をすべきなのだ。彼がいうには、「政府はその努力をしておらず、筋の通る説明をしていない」とのことである。これについては、政府乃至我々が考えなおす必要があるだろう。

 基地問題を含む沖縄の問題については、左右両勢力から過度にセンセーショナルな議論が展開されている。これについては、飲んでいたうちなーんちゅ達は非常に憤りを覚えていた。曰く、「沖縄のことをよく知らんなら、黙っといてくれ」。センセーショナルな論争が繰り返されるのは、我々が沖縄を真に理解しておらず、それは「我々」が沖縄を「我々」だと錯覚し、「我々」の論理で以て会話を試みようとしていることの証左にほかならない。沖縄は「我々」の中のほんのごく一部であって、我々の論理の預かり知らぬところに、彼らなりの論理があるのである。

 

 以上の様な議論をしつつ、酒を酌み交わし、時刻は午前3時半。非常に有意義な時間であった。料理のセレクトも沖縄生まれの同輩に任せたところ、やはり地元民ならではの珍しいものの取り合わせとなった。中でも豚足の塩焼きは格別で、こってりとした豚の油に塩味がよく効いていた。そんな料理にも舌鼓を打ち、私は家路に着いた。今日聞いた沖縄の現地の方の話は、日米外交の志すものにとって必須の経験だと思った。なぜなら彼らは、我々よりもとっくの昔から、基地という外交の最前線で暮らしてきたのだから。

ヨーロッパ旅行⑤ イスタンブール

2月9日 場所;トルコ・イスタンブール 天気;快晴

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早朝のイスタンブール


 4時間ほどの睡眠を経て、時刻は午前5時。友人の乗るフライトがイスタンブールに到着して1時間も経っていた。シャワーを浴び、身支度をして、部屋を出る。無料の朝食もついていたが、時間がないので、すぐさまタクシーに飛び乗った。後から考えれば、朝食抜きでもこのホステルは1泊1600円ほどで泊まれた上に、空港からタクシーで5分ほどの距離で大変良かった。しかもこの日は宿泊客が私以外に居なかったので、4つのベッドがあるドミトリーを一人で使う事が出来た。

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 3年前のテロの影響もあってか、アタトゥルク空港は早朝であっても軍人が闊歩し、入口に金属感知器が設置してあった。ちなみに私は、テロ直後もトランジットでこの空港にきているが、非制限エリアに入るのはこれが初めてで、こんな物々しい雰囲気であったとは正直驚いた。

 空港で友人らと合流を果たす。朝食をとり、鉄道とトラムを乗り継いで市内中心部のスルタンアフメットへ。スルタンアフメットは、かの有名なハギヤ・ソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿が密集するイスタンブール観光の中心地である。そのため宿も密集しており、私たちがこの日宿泊する宿もここにあったので、観光がてら荷物を宿に置いていこうとなった。後で気づくことだが、世界的な観光都イスタンブールの中でもひときわ有名どころという事で、スルタンアフメットは日中とんでもなく混む。だが、早朝のこの時間は人もあまりおらず、まるで宣材写真の様な写真が撮れた。以降、我々の行動指針として、早朝始動、早晩帰還が原則となった。

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早朝のブルーモスク。荘厳な雰囲気。

 スルタンアフメットを後にし、トラムで新市街へと向かう。行先のドルマバチェフ宮殿は、オスマン帝国末期に、スルタンの居所兼外国要人の迎賓館として機能したもので、その後はトルコ共和国建国の父として称されるアタトゥルク・パシャの居所としても使用されていた。建物自体はどっからどう見てもヨーロッパ風のそれだが、中にある調度品などは東洋的なものもあり(伊万里焼もあった)、文面の交差路イスタンブールを感じる事が出来る場所だった。

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ドルマバチェフでタ-キッシュコーヒーなるものを頂く。カップの底にコーヒーかすが溜まっていることが特徴らしい。

 ドルマバチェフ宮殿を後にして、再びスルタンアフメットに戻ると既に人でごった返していた。ケバブを軽く食べて広場に向かうと、明らかに詐欺師っぽさそうな日本語ペラペラの外人がしゃべりかけてきた。明らかな観光地ではこういう輩もゴロゴロいるので注意が必要である。

 地下宮殿へ行くが、正直大したものはなかったのでちょっとがっかり。その後ハギアソフィアに入る。有名なハギアソフィア大聖堂はもともとビザンツ帝国時代に建てられたので、中に入るといまだにキリストのイコンがある(モスクに改装しようとしたときに剥がされたようだが、写真からもわかる通り、剥がし方が雑である)。そのため、キリスト様の像とコーランのの言葉が併存するという、なんとも摩訶不思議な空間が内部に広がっていた。

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異教徒の都となったビザンティンの面影。

 ハギアソフィアを出て国立美術館を見学した後、我々は再び新市街へ。イスラム世界名物のバザールを散策し、その後夕食をとりガラタ塔へ。ガラタ塔は、新市街の高台にある展望台でイスタンブールの夜景が一望できると人気の観光スポットである(ちなみにこの旅行、以降ずっと高いところに上りっぱなしである。バカと煙は高く上るとはまさにこのことである)。実際上に登ってみると手すりが外れかけてる上、人が見るからに上りすぎていて今にも落ちそうといったところだった。正直ここを克服できれば大阪城天守閣とか屁でもないと思われる。夜景は綺麗だった。

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夜のイスタンブール。奥に見える黒いところがボスフォラス海峡。

 という訳で、この日は今回の旅が始まって初めての本格的な観光日となった。そもそも友人たちと空港で合流できるかという点で、一抹の不安があったが(電波さえつかめば大したことはないが)、まあ何とかなって一安心。次いでに宿のグレードも大幅にアップして(おそらく今回の旅で一番高級)ふかふかの布団でぐっすり眠った。そんなところで、私のヨーロッパ周遊旅行3日目は幕を閉じた。

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イスラム教国なのに食い物はだいたい酒に合う。

 

ヨーロッパ旅行④ アムステルダム⇒イスタンブール

 2月9日 場所;アムステルダム 天気;晴れ

 

 時差ボケ故に倒れ込むように眠たおかげで、翌朝の目覚めもかなり早かった。

 3時ごろシャワーを浴び、荷物を纏める。5時くらいには寝室を後にし、共用スペースで時間を潰す。無料の朝食サービスは8時からだったので、それまでは宿の無料WiFiを使い情報収集に徹することにした。朝食サービスが遅いように感じていたが、その理由として、オランダが日本より高緯度にあるため日の出が遅く、生活リズムがそもそも遅めであるという事がわかった。朝食は、ライ麦パンとハム、コーヒーと、農業国らしい大量のチーズとバターで、これが非常に美味しかった。この日の宿は、1泊22€=2750円、日本でいえばカプセルホテルレベルの値段を出せば、十分広いベッド(オランダ人の大柄故か?)とまともな朝食が出てくるという点で非常にコスパがよかった。場所が辺鄙なところにあるので、それが唯一の難点ではあるのだが。

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アムステルダムの朝。寒そうだけど寒くない。札幌の方がはるかに寒い。

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朝食。美味すぎて2回おかわりした。

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泊まった宿は、廃校した大学の校舎を再利用したものらしく、なるほど造りも学校然としていた。





 宿を出てトラムに乗り、昨日も訪れたRijinksmuseumへ。レンブラントの「夜景」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」など、世界史の教科書にすら載っている超有名名画が目白押しの美術館である。それだけでも十分にすごいのだが、更に驚くのは館内での撮影が可能だという点である。流石ヨーロッパ、懐が深いと感心した。

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国立美術館前景。東京駅みたい。

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レンブラント「夜景」。思ってたよりでかい。

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」。





 国立美術館は博物館も兼ねている。驚いたのは、少なからぬスペースが鎖国下日本との交易に関する展示に割かれていたことである。写真にあるように、長崎・出島の模型や日本人の役人を描いた風俗画とともに、17世紀の日蘭関係について説明がなされていた。鎖国下日本におけるオランダの重要性は、我々日本人にとっては今日でもよく知るところではあるが、一方でオランダの側においてもその関係がある程度重要視されていることが垣間見えた。

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日蘭の絆を感じる。

 

 博物館を後にし、街を少々散策した後空港に向かう。チェックインを終えるとなぜかゲート集合時刻が搭乗の1時間も前で、時間はぎりぎりだった。追い打ちをかけるようにセキュリティーは長蛇の列。やきもきとしていたところ、「日本人か?」と空港職員に聞かれ、そうだと答えると、自動化ゲートへいけとのこと。自動出国ゲートは先ほどの混雑が嘘のように空いていた。日本のパスポートの力、おそるまじ。

 

 そんなこんなで大慌てでゲートにやってきたわけだが、何と搭乗便は強風で遅れるとのこと。ならなんでそんな急がせたんだとブチ切れそうになった。近くのバルへ行き、ハイネケン(オランダなので)とタコスを頂いて時間を潰す。

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ビールは1Pnt=500mlで4.95€。空港にしては安い。



・フライト2本目 アトラス・グローバル アムステルダム・スキポール国際空港⇒イスタンブール・アタトゥルク国際空港

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ゲートブリッジが邪魔で機体が撮れない。



 3時間遅れで搭乗。使用機材はボロボロのエアバスA320。この航空会社、聞いたことないところだが、何から何までまあお粗末。まず客室についてだが、シートはボロボロ、床は屑だらけ、機内誌はページがところどころ破れている。機内食は牛丼(なぜこんな欧州のどまんなかで米が出てきたのかは謎。当然ながら東洋人の乗客は私のみである)だったが、付け合わせのジャガイモの酢漬けが如何せん不味い。先の遅延と合わせて、いろいろと不満の多いフライトであった。

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おそらくこの旅行の中で一番まずかった飯。



 出発の遅延のおかげで、イスタンブールに着いたのは11時前だった。旅の同行者である友人2名は翌日の早朝便でイスタンブール入りする予定だったので、この日は空港近くのホステルを予約していたのだが、大正解だった。タクシーを捕まえ、ホステルへ向かう。翌日も早朝に友人を迎えに行かねばならなかったので早めに寝たかったが、ここで大問題が発生した。

 

 コンセントが嵌らないのである。実はアムステルダムでもそうだったのだが、日本のコンセントのように差し込み口が平面でなく、少し奥にへこんでいるのだ。それ故に、筆者が持っている万能変換プラグがそのへこみにつっかえて嵌らない。一大事だ。スマホが充電できなければ、友人と連絡が取れず、従って今回の旅行が始まる前から終わってしまう。宿に聞いてみるも、貸し出せるプラグはないとのこと。初めての土地で深夜に出歩くのはなるべく避けたかったが、背に腹は変えられない。USBプラグを求めて私は夜のイスタンブールを彷徨い歩く。

 

 夜遅くで多くの商店は閉まっていたが、かろうじてキヨスクは何軒か開いていた。勿論英語は通じないし、私もトルコ語は話せないので、グーグル翻訳を駆使してなんとか交渉する。3軒回って、ようやく意味を理解してくれる店主に出会った。大柄のプロレスラーみたいなこの店主は、見た目こそいかつかったが、私が困っている旨を伝えると、自分が私用で使っているプラグを私にくれ、更に売り物ではないからタダでやると言ってくれる心優しい御仁だった。人の厚意は、困っているときこそ身に染みるものである。心の底からの感謝をグーグル翻訳越しに伝え、私は宿に戻った。

 

 そんなこんなで時刻は1時。4時には友人の乗る便が到着するため、束の間の仮眠だがとらないわけにはいかない。こうして怒涛の2日目が幕を閉じた。

令和になって思うこと

 例年より名残惜しく咲き永らえていた桜の花が愈よ青葉と変わり、世間はゴールデンウィークとなった。かねてから周知のとおり、平成という一時代が終ろうとしている。平成時代を振り返るのが専ら昨今の世の流行であるようだが、一時代を振り返るにしてはいまだ短きわが半生、その役は遍くマス・コミュニケーションの預かるところと期待して、私としては、抑々の元号というわが国独自の暦年法について、筆を認めることとしたい。

 

暦と歴史

 

 我々にとって暦とはどのような意味を持つであろうか。私はこれを、集団による歴史の再確認であると思うわけである。例えば、欧米であればユリウス暦グレゴリオ暦と暦を共有している。「August=8月」といえば、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスに因んでいる。欧州で8月といえば、即ち皇帝アウグストゥスを示すものものである。暦によって。欧州ではローマ時代以来の歴史的連帯性を共有しているといえる。同じことはイスラーム世界でも言える。ヒジュラ暦とは、ムハンマドが聖地メッカからメディナへと聖遷(=ヒジュラ)した年を元年として数える太陰暦である。ムスリムたちは、暦を通して教祖ムハンマドの偉業に思いを馳せることとなるだろう。このように、暦とは歴史的に、それを共有する集団においてある一定のストーリーを想起させる効果がある。故に暦は、神話や歴史と同等に、集団における精神的統合の機軸としての機能を有する。

 

日本人と元号

 

 そのうえで我々にとっての元号とは、いかなる価値を持つだろうか。我が国の元号が想起させるもの、それは紛れもな歴史の中で脈々と続く皇室の制度であろう。大化改新以降続く元号であるが、江戸時代以前は一人の天皇の治世のもとで何度も改元されることがあった。それは災害や疫病の蔓延、動乱など天変地異によって乱れた国内を改元によって解決しようとする思惑があった。それが、明治以降、政治権力として近代化された皇室制度とともに、一世一元制が敷かれることとなった。エビデンスがあるわけではないが、天皇による中央集権体制を敷きたい明治政府にとって、一世一元制は天皇の治世を臣民に想起させる装置であったのだろうと私は解釈している。

 

西暦と和暦の二面性

 

 近年、西暦と元号の併用の煩雑さを以て、元号の廃止を求める声が大きくなっていると感じる。現に先日、外務省が省内文書の日付表記に専ら西暦を使用することを決定し、話題となった。

 西暦と和暦の併用には、わが国の精神的展開の歴史を如実に反映している節があると思われる。明治時代、わが国は政治制度、科学技術、学術研究等多くの分野で、欧米から叡智を導入してきた。一方で、王政復古と皇室制度を中心に据えた立憲君主制の下で古典的な精神世界を復活した。西暦と和暦の併用は、こうした我が国の精神社会を反映したもの解される。即ち、欧米という異世界からの「西暦」と、旧来の「和暦」が独立共存しているという現象それ自体が、明治以降弛まず流れるるわが国の伝統として息づいたものであるといえよう。

 

「令和」について

 この度の改元により新たに訪れることとなった「令和」。その出典は、歴代の元号で初めて漢籍を離れ、わが国初の和歌集である万葉集からのものとなった。私はあまり古典文学に詳しくないため、その文面の意味するところは別の御仁のご高説を待つこととしたいが、一方で、この出典の「脱・漢籍」が、わが国の精神世界の中国文化圏からの独立を意味していると私には感じられるのである。元号という制度が生まれた時代、わが国の国際政治は専ら対中国外交であった。我が国は、東アジアの文明的中心国であった中国から多くを学び、時に反目し、そしてそれをお互いの糧にしてきた。そうした文化的背景の中で、元号中国文明の影響を受けるのは必至であっただろう。今回、新たな元号漢籍を離れたということで、わが国の暦を取り巻く精神世界は愈よ純粋なるわが国独自の体系へと昇華されたと感じるのである。勿論東アジアの一国として同一文明圏に所属することを卑下しているわけではない。しかし、元号という、東アジア一帯d脈々と続く制度にあって、わが国の制度にのみ垣間見えるオリジナリティが確立するということは、それはそれで喜ばしいことであると感じるのである。

 

 このように、元号とはわが国が東アジア文明とわが国の古典的世界の中で育まれた文化的価値であり、それはさらに西暦との併用により独自性を増すと考えられる。将来にわたって受け継がなくてはならない、大きな可能性を秘めている。そんな期待を胸にして、新たな時代を迎えたい。