つちのこの巣穴

未確認生物による、未確認な世界の記録。

ヨーロッパ旅行⑥ イスタンブール

 2月12日 場所;イスタンブール 天気;晴れ

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宿の朝食。トルコもヨーグルトやチーズなどの乳製品が多い。後干しイチジクが美味かった。

  朝焼けが瞼の裏に差し込むより先に、イスラム世界特有の詠唱であるアザーンの響きで目が醒めた。イスラム教国では夜明け前に必ずこれが流れるらしい。目覚ましを買わなくてもいいものだから、旅行者にしてみれば大変ありがたいものである。

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朝焼けに染まるブルーモスク。

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トプカプ宮殿内部。



 朝食を食べ、朝の人がいないうちにブルーモスクを見学し、その後トプカプ宮殿に向かう。トプカプ宮殿とは、オスマン帝国の皇帝が過ごした居城兼政庁で、ボスフォラス海峡を見渡せる旧市街先端の高台の上にある。前日に見たドルマバフチェ宮殿はオスマン末期の宮殿ということで、ヨーロッパ建築の様な面持ちもあったのだが、こちらはやはり「イスラムの国に来たな」と思わせる佇まいである。

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青い空に白い大理石がよく映える。

 下町で軽く昼食をとった後、スレイマンモスクに向かう。おそらくイスタンブールで最も美しいモスクだと感じた。大理石で作られた真っ白なミナレットは、イスタンブールの群青の空によく映える。やはりオスマン最大の勢力を誇ったスレイマン一世の御代に作られたモスクである。
 私は今回の旅にいくつかのテーマを持っていた。その一つは、先の記事で書いたように「ルネサンス絵画と近代西欧絵画の比較」であるが、もう一つは「東西ローマ帝国帝都の比較」である。この比較をする上で、キリスト教の視座を欠かすことはできない。この後ローマでカトリックの総本山であるバチカンにむかうため、イスタンブールでもそれに対応する東方正教会の総本山であるコンスタンティノープル総主教庁へと向かった。

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ちょっとさびれた感じのコンスタンティノープル総主教庁


 コンスタンティノープル総主教庁は、この都がイスラムの手に落ちた今となってはあまり有名ではないようで、観光ガイドはおろか、地元のタクシードライバーですら知らない様子だった。実際に行ってみても、何処を歩いても人でごった返している旧市街中心部と比べると閑散としていた。内部は東方正教らしく、イコン美術と幾何学模様で飾られており、後に見るカトリック的な宗教芸術とは異なった赴きを表していた。ローマ帝国からビザンツへ、ビザンツからオスマンへというイスタンブールの歴史を感じる事の出来る場所だった。

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イスタンブールの隠れた名物・サバサンド。サバの塩焼きをバケットで挟んだだけの簡単フード。普通に白米がほしくなる。

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船の乗客が餌をやりまくるもんだからカモメが大挙して押し寄せてくる。

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エミノミュは常に人でごった返しているので、スリに注意。

 船着き場のあるエミノミュに向かい、名物のサバサンドをかじりながらボスフォラス海峡クルーズに参加する。このクルーズ、約90分でボスフォラス海峡を周遊して20TL=400円と超お得なので、読者の諸君もトルコにお越しの際は是非参加してみてほしい。いい景色を見たいがために窓際に座りすぎると、まれにカモメの糞が空から降ってくるので、それには注意してほしい。(友人は命中した。)

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いろんなシーシャ。


 せっかくイスラム世界にやってきたのだから、シーシャが吸いたい!とのことで、(まあ梅田でも吸っているのだが)スルタンアフメットに戻りシーシャバーへ。日本や欧米では、シーシャと聞くとクラブやスポーツバーでヒッピーな若者が吸っているというイメージだが、本場イスラム世界では、普通のおじさんたちがコーヒー片手に談笑しながらぷかぷかやっているといった感じで、怪しげな感じは一切なかった。ちなみに1回60TL=1000円と格安だった。 (梅田のよく行く店は1500円である。)
 最後にトルコ風アイスを食べ、我々は帰路に着いた。明日はいよいよ、イタリア・ローマに向かう。私にとってはこの旅行二回目のEU圏入境である。まだ見ぬヨーロッパの大地に期待をしながら、私は床に臥した。



沖縄について

 先週末、大学院の同輩と飲む機会があり、彼が沖縄出身ということで沖縄料理居酒屋に行ってきた。なかなか普段できない経験だったので、後学のために書き残しておきたいと思う。

 時刻はそろそろ深夜0時に差し掛かろうとしていた。同輩を含む大学院の仲間内での飲み会に参加した後、まだまだ飲み足りないと二人で駅前を彷徨い歩いていたところ、「沖縄料理、あります!」との立て看板を発見。沖縄生まれの同輩の郷愁にかられ、入ってみる。

 入店一番、話のタネに「こいつ沖縄出身なんすよ」と店主に同輩を紹介すると、店主より先に奧で飲んでいた客の御仁が話しかけてきた。「兄ちゃん、うちなーんちゅ?」(うちなーんちゅとは沖縄の人の意。ちなみに、沖縄の言葉は全部後ろにアクセントがあり、語尾下げで読まれるとテンションが下がるとのこと。同輩談。)と彼が聞き、そうだというと、となりに来いと招かれた。

 彼は、沖縄・八重山の生まれで、現在は大阪や岐阜(!)を拠点にアーティスト活動をしている、30代半ばの男性だった。沖縄の若人が訪れたという事で、濃密な沖縄方言による沖縄トークに花が咲いた。(勿論私には1ミリもわからないが)そして話ついでに、三線で沖縄民謡を弾いて聞かせてくれた。そうこうしていると、店に居たほかの客たちも集まってきた。閉店時刻はとっくに過ぎていたが、店主もうちなーんちゅ達の大集会を楽しんでいるようで、宴はまだまだ続いた。

 沖縄と聞くと、やはり私は自らの研究分野である基地問題の話が頭をよぎる。政治と宗教と野球の話は日常生活ではするな、とよく言われるが、やはり研究者の端くれとして語らずには居られない。期せずして話題はその流れになった。彼は、自分は八重山の生まれなので基地には直接の関係はないが、と断ったうえでこう続けた。

 「沖縄人は先祖の教えを大切にする。俺が沖縄戦を生き抜いたばぁばから教わったのは、『いのちこそ宝』という思想だ。基地があろうとなかろうと、それは譲れない。自分や、自分の家族の命を脅かすものは、外国でも、基地でも政府でも許さない。」

 なるほど、凄みのある議論である。勿論それはその通りである。何も、米軍基地は事故を起こして我が国に危害を加えるためのものではない。私は、①沖縄の基地は確かに問題があるとしたうえで、②それを解決するためにはなぜ米軍は沖縄に基地を置き続けるのかを考察し、ひいては③アメリカの東アジア戦略自体を見渡すことが必要である、と自らの見解を述べた。すると彼は、以下のように語った。

 「確かに、日本政府の理屈も、アメリカのいう事もわかる。基地が沖縄を守ってくれている、という理屈も多少は理解できる。しかし、一度戦ったかつての敵国の軍隊が、自分らの島で飛行機飛ばして、それであなた方をお守りしていますよ、といってそれを信用できますか?感情的かもしれないけど、感情に従えばそれは納得できない。」

 うーん、私はうなってしまった。

 

 私が彼との議論の中で思ったのは、我々は沖縄県民に対して、日本或いは東アジアの一市民といった非常にマクロな視点で説得を試みがちであるが、それは根本的に議論の前提として不十分である という点である。沖縄県民とて、恐らく上記の様なマクロ的な視座はあるだろうが、その上位には沖縄県民としての利益と価値がある。「私たちのための利益(=国家利益)」という議論の際の「私たち」に対する内包度は、残念ながら国民一人一人に対して同等ではない。加えて、沖縄の民族的アイデンティティは国内のほかの地域とは比べ物にならないほど強い。自らを「うちなーんちゅ」と呼称し、他の地域を「内地」、「本土」と呼ぶこの表現が、沖縄特有のものであることは言うまでもない。従って、我々は、少なくとも基地問題においては沖縄を、「我々」に引き入れて議論をしてはならない。沖縄に基地があることで得られる安全保障上の利益は、沖縄に限らず日本全国(あるいは東アジアの諸外国も)享受するが、基地コストを負担するのは沖縄だけである。そもそも利害が異なるのであるから、その前提に立って議論をすべきなのだ。彼がいうには、「政府はその努力をしておらず、筋の通る説明をしていない」とのことである。これについては、政府乃至我々が考えなおす必要があるだろう。

 基地問題を含む沖縄の問題については、左右両勢力から過度にセンセーショナルな議論が展開されている。これについては、飲んでいたうちなーんちゅ達は非常に憤りを覚えていた。曰く、「沖縄のことをよく知らんなら、黙っといてくれ」。センセーショナルな論争が繰り返されるのは、我々が沖縄を真に理解しておらず、それは「我々」が沖縄を「我々」だと錯覚し、「我々」の論理で以て会話を試みようとしていることの証左にほかならない。沖縄は「我々」の中のほんのごく一部であって、我々の論理の預かり知らぬところに、彼らなりの論理があるのである。

 

 以上の様な議論をしつつ、酒を酌み交わし、時刻は午前3時半。非常に有意義な時間であった。料理のセレクトも沖縄生まれの同輩に任せたところ、やはり地元民ならではの珍しいものの取り合わせとなった。中でも豚足の塩焼きは格別で、こってりとした豚の油に塩味がよく効いていた。そんな料理にも舌鼓を打ち、私は家路に着いた。今日聞いた沖縄の現地の方の話は、日米外交の志すものにとって必須の経験だと思った。なぜなら彼らは、我々よりもとっくの昔から、基地という外交の最前線で暮らしてきたのだから。

ヨーロッパ旅行⑤ イスタンブール

2月9日 場所;トルコ・イスタンブール 天気;快晴

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早朝のイスタンブール


 4時間ほどの睡眠を経て、時刻は午前5時。友人の乗るフライトがイスタンブールに到着して1時間も経っていた。シャワーを浴び、身支度をして、部屋を出る。無料の朝食もついていたが、時間がないので、すぐさまタクシーに飛び乗った。後から考えれば、朝食抜きでもこのホステルは1泊1600円ほどで泊まれた上に、空港からタクシーで5分ほどの距離で大変良かった。しかもこの日は宿泊客が私以外に居なかったので、4つのベッドがあるドミトリーを一人で使う事が出来た。

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 3年前のテロの影響もあってか、アタトゥルク空港は早朝であっても軍人が闊歩し、入口に金属感知器が設置してあった。ちなみに私は、テロ直後もトランジットでこの空港にきているが、非制限エリアに入るのはこれが初めてで、こんな物々しい雰囲気であったとは正直驚いた。

 空港で友人らと合流を果たす。朝食をとり、鉄道とトラムを乗り継いで市内中心部のスルタンアフメットへ。スルタンアフメットは、かの有名なハギヤ・ソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿が密集するイスタンブール観光の中心地である。そのため宿も密集しており、私たちがこの日宿泊する宿もここにあったので、観光がてら荷物を宿に置いていこうとなった。後で気づくことだが、世界的な観光都イスタンブールの中でもひときわ有名どころという事で、スルタンアフメットは日中とんでもなく混む。だが、早朝のこの時間は人もあまりおらず、まるで宣材写真の様な写真が撮れた。以降、我々の行動指針として、早朝始動、早晩帰還が原則となった。

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早朝のブルーモスク。荘厳な雰囲気。

 スルタンアフメットを後にし、トラムで新市街へと向かう。行先のドルマバチェフ宮殿は、オスマン帝国末期に、スルタンの居所兼外国要人の迎賓館として機能したもので、その後はトルコ共和国建国の父として称されるアタトゥルク・パシャの居所としても使用されていた。建物自体はどっからどう見てもヨーロッパ風のそれだが、中にある調度品などは東洋的なものもあり(伊万里焼もあった)、文面の交差路イスタンブールを感じる事が出来る場所だった。

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ドルマバチェフでタ-キッシュコーヒーなるものを頂く。カップの底にコーヒーかすが溜まっていることが特徴らしい。

 ドルマバチェフ宮殿を後にして、再びスルタンアフメットに戻ると既に人でごった返していた。ケバブを軽く食べて広場に向かうと、明らかに詐欺師っぽさそうな日本語ペラペラの外人がしゃべりかけてきた。明らかな観光地ではこういう輩もゴロゴロいるので注意が必要である。

 地下宮殿へ行くが、正直大したものはなかったのでちょっとがっかり。その後ハギアソフィアに入る。有名なハギアソフィア大聖堂はもともとビザンツ帝国時代に建てられたので、中に入るといまだにキリストのイコンがある(モスクに改装しようとしたときに剥がされたようだが、写真からもわかる通り、剥がし方が雑である)。そのため、キリスト様の像とコーランのの言葉が併存するという、なんとも摩訶不思議な空間が内部に広がっていた。

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異教徒の都となったビザンティンの面影。

 ハギアソフィアを出て国立美術館を見学した後、我々は再び新市街へ。イスラム世界名物のバザールを散策し、その後夕食をとりガラタ塔へ。ガラタ塔は、新市街の高台にある展望台でイスタンブールの夜景が一望できると人気の観光スポットである(ちなみにこの旅行、以降ずっと高いところに上りっぱなしである。バカと煙は高く上るとはまさにこのことである)。実際上に登ってみると手すりが外れかけてる上、人が見るからに上りすぎていて今にも落ちそうといったところだった。正直ここを克服できれば大阪城天守閣とか屁でもないと思われる。夜景は綺麗だった。

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夜のイスタンブール。奥に見える黒いところがボスフォラス海峡。

 という訳で、この日は今回の旅が始まって初めての本格的な観光日となった。そもそも友人たちと空港で合流できるかという点で、一抹の不安があったが(電波さえつかめば大したことはないが)、まあ何とかなって一安心。次いでに宿のグレードも大幅にアップして(おそらく今回の旅で一番高級)ふかふかの布団でぐっすり眠った。そんなところで、私のヨーロッパ周遊旅行3日目は幕を閉じた。

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イスラム教国なのに食い物はだいたい酒に合う。

 

ヨーロッパ旅行④ アムステルダム⇒イスタンブール

 2月9日 場所;アムステルダム 天気;晴れ

 

 時差ボケ故に倒れ込むように眠たおかげで、翌朝の目覚めもかなり早かった。

 3時ごろシャワーを浴び、荷物を纏める。5時くらいには寝室を後にし、共用スペースで時間を潰す。無料の朝食サービスは8時からだったので、それまでは宿の無料WiFiを使い情報収集に徹することにした。朝食サービスが遅いように感じていたが、その理由として、オランダが日本より高緯度にあるため日の出が遅く、生活リズムがそもそも遅めであるという事がわかった。朝食は、ライ麦パンとハム、コーヒーと、農業国らしい大量のチーズとバターで、これが非常に美味しかった。この日の宿は、1泊22€=2750円、日本でいえばカプセルホテルレベルの値段を出せば、十分広いベッド(オランダ人の大柄故か?)とまともな朝食が出てくるという点で非常にコスパがよかった。場所が辺鄙なところにあるので、それが唯一の難点ではあるのだが。

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アムステルダムの朝。寒そうだけど寒くない。札幌の方がはるかに寒い。

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朝食。美味すぎて2回おかわりした。

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泊まった宿は、廃校した大学の校舎を再利用したものらしく、なるほど造りも学校然としていた。





 宿を出てトラムに乗り、昨日も訪れたRijinksmuseumへ。レンブラントの「夜景」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」など、世界史の教科書にすら載っている超有名名画が目白押しの美術館である。それだけでも十分にすごいのだが、更に驚くのは館内での撮影が可能だという点である。流石ヨーロッパ、懐が深いと感心した。

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国立美術館前景。東京駅みたい。

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レンブラント「夜景」。思ってたよりでかい。

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」。





 国立美術館は博物館も兼ねている。驚いたのは、少なからぬスペースが鎖国下日本との交易に関する展示に割かれていたことである。写真にあるように、長崎・出島の模型や日本人の役人を描いた風俗画とともに、17世紀の日蘭関係について説明がなされていた。鎖国下日本におけるオランダの重要性は、我々日本人にとっては今日でもよく知るところではあるが、一方でオランダの側においてもその関係がある程度重要視されていることが垣間見えた。

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日蘭の絆を感じる。

 

 博物館を後にし、街を少々散策した後空港に向かう。チェックインを終えるとなぜかゲート集合時刻が搭乗の1時間も前で、時間はぎりぎりだった。追い打ちをかけるようにセキュリティーは長蛇の列。やきもきとしていたところ、「日本人か?」と空港職員に聞かれ、そうだと答えると、自動化ゲートへいけとのこと。自動出国ゲートは先ほどの混雑が嘘のように空いていた。日本のパスポートの力、おそるまじ。

 

 そんなこんなで大慌てでゲートにやってきたわけだが、何と搭乗便は強風で遅れるとのこと。ならなんでそんな急がせたんだとブチ切れそうになった。近くのバルへ行き、ハイネケン(オランダなので)とタコスを頂いて時間を潰す。

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ビールは1Pnt=500mlで4.95€。空港にしては安い。



・フライト2本目 アトラス・グローバル アムステルダム・スキポール国際空港⇒イスタンブール・アタトゥルク国際空港

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ゲートブリッジが邪魔で機体が撮れない。



 3時間遅れで搭乗。使用機材はボロボロのエアバスA320。この航空会社、聞いたことないところだが、何から何までまあお粗末。まず客室についてだが、シートはボロボロ、床は屑だらけ、機内誌はページがところどころ破れている。機内食は牛丼(なぜこんな欧州のどまんなかで米が出てきたのかは謎。当然ながら東洋人の乗客は私のみである)だったが、付け合わせのジャガイモの酢漬けが如何せん不味い。先の遅延と合わせて、いろいろと不満の多いフライトであった。

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おそらくこの旅行の中で一番まずかった飯。



 出発の遅延のおかげで、イスタンブールに着いたのは11時前だった。旅の同行者である友人2名は翌日の早朝便でイスタンブール入りする予定だったので、この日は空港近くのホステルを予約していたのだが、大正解だった。タクシーを捕まえ、ホステルへ向かう。翌日も早朝に友人を迎えに行かねばならなかったので早めに寝たかったが、ここで大問題が発生した。

 

 コンセントが嵌らないのである。実はアムステルダムでもそうだったのだが、日本のコンセントのように差し込み口が平面でなく、少し奥にへこんでいるのだ。それ故に、筆者が持っている万能変換プラグがそのへこみにつっかえて嵌らない。一大事だ。スマホが充電できなければ、友人と連絡が取れず、従って今回の旅行が始まる前から終わってしまう。宿に聞いてみるも、貸し出せるプラグはないとのこと。初めての土地で深夜に出歩くのはなるべく避けたかったが、背に腹は変えられない。USBプラグを求めて私は夜のイスタンブールを彷徨い歩く。

 

 夜遅くで多くの商店は閉まっていたが、かろうじてキヨスクは何軒か開いていた。勿論英語は通じないし、私もトルコ語は話せないので、グーグル翻訳を駆使してなんとか交渉する。3軒回って、ようやく意味を理解してくれる店主に出会った。大柄のプロレスラーみたいなこの店主は、見た目こそいかつかったが、私が困っている旨を伝えると、自分が私用で使っているプラグを私にくれ、更に売り物ではないからタダでやると言ってくれる心優しい御仁だった。人の厚意は、困っているときこそ身に染みるものである。心の底からの感謝をグーグル翻訳越しに伝え、私は宿に戻った。

 

 そんなこんなで時刻は1時。4時には友人の乗る便が到着するため、束の間の仮眠だがとらないわけにはいかない。こうして怒涛の2日目が幕を閉じた。

令和になって思うこと

 例年より名残惜しく咲き永らえていた桜の花が愈よ青葉と変わり、世間はゴールデンウィークとなった。かねてから周知のとおり、平成という一時代が終ろうとしている。平成時代を振り返るのが専ら昨今の世の流行であるようだが、一時代を振り返るにしてはいまだ短きわが半生、その役は遍くマス・コミュニケーションの預かるところと期待して、私としては、抑々の元号というわが国独自の暦年法について、筆を認めることとしたい。

 

暦と歴史

 

 我々にとって暦とはどのような意味を持つであろうか。私はこれを、集団による歴史の再確認であると思うわけである。例えば、欧米であればユリウス暦グレゴリオ暦と暦を共有している。「August=8月」といえば、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスに因んでいる。欧州で8月といえば、即ち皇帝アウグストゥスを示すものものである。暦によって。欧州ではローマ時代以来の歴史的連帯性を共有しているといえる。同じことはイスラーム世界でも言える。ヒジュラ暦とは、ムハンマドが聖地メッカからメディナへと聖遷(=ヒジュラ)した年を元年として数える太陰暦である。ムスリムたちは、暦を通して教祖ムハンマドの偉業に思いを馳せることとなるだろう。このように、暦とは歴史的に、それを共有する集団においてある一定のストーリーを想起させる効果がある。故に暦は、神話や歴史と同等に、集団における精神的統合の機軸としての機能を有する。

 

日本人と元号

 

 そのうえで我々にとっての元号とは、いかなる価値を持つだろうか。我が国の元号が想起させるもの、それは紛れもな歴史の中で脈々と続く皇室の制度であろう。大化改新以降続く元号であるが、江戸時代以前は一人の天皇の治世のもとで何度も改元されることがあった。それは災害や疫病の蔓延、動乱など天変地異によって乱れた国内を改元によって解決しようとする思惑があった。それが、明治以降、政治権力として近代化された皇室制度とともに、一世一元制が敷かれることとなった。エビデンスがあるわけではないが、天皇による中央集権体制を敷きたい明治政府にとって、一世一元制は天皇の治世を臣民に想起させる装置であったのだろうと私は解釈している。

 

西暦と和暦の二面性

 

 近年、西暦と元号の併用の煩雑さを以て、元号の廃止を求める声が大きくなっていると感じる。現に先日、外務省が省内文書の日付表記に専ら西暦を使用することを決定し、話題となった。

 西暦と和暦の併用には、わが国の精神的展開の歴史を如実に反映している節があると思われる。明治時代、わが国は政治制度、科学技術、学術研究等多くの分野で、欧米から叡智を導入してきた。一方で、王政復古と皇室制度を中心に据えた立憲君主制の下で古典的な精神世界を復活した。西暦と和暦の併用は、こうした我が国の精神社会を反映したもの解される。即ち、欧米という異世界からの「西暦」と、旧来の「和暦」が独立共存しているという現象それ自体が、明治以降弛まず流れるるわが国の伝統として息づいたものであるといえよう。

 

「令和」について

 この度の改元により新たに訪れることとなった「令和」。その出典は、歴代の元号で初めて漢籍を離れ、わが国初の和歌集である万葉集からのものとなった。私はあまり古典文学に詳しくないため、その文面の意味するところは別の御仁のご高説を待つこととしたいが、一方で、この出典の「脱・漢籍」が、わが国の精神世界の中国文化圏からの独立を意味していると私には感じられるのである。元号という制度が生まれた時代、わが国の国際政治は専ら対中国外交であった。我が国は、東アジアの文明的中心国であった中国から多くを学び、時に反目し、そしてそれをお互いの糧にしてきた。そうした文化的背景の中で、元号中国文明の影響を受けるのは必至であっただろう。今回、新たな元号漢籍を離れたということで、わが国の暦を取り巻く精神世界は愈よ純粋なるわが国独自の体系へと昇華されたと感じるのである。勿論東アジアの一国として同一文明圏に所属することを卑下しているわけではない。しかし、元号という、東アジア一帯d脈々と続く制度にあって、わが国の制度にのみ垣間見えるオリジナリティが確立するということは、それはそれで喜ばしいことであると感じるのである。

 

 このように、元号とはわが国が東アジア文明とわが国の古典的世界の中で育まれた文化的価値であり、それはさらに西暦との併用により独自性を増すと考えられる。将来にわたって受け継がなくてはならない、大きな可能性を秘めている。そんな期待を胸にして、新たな時代を迎えたい。

ヨーロッパ旅行③ アムステルダム

2月8日 場所;オランダ・アムステルダム 天気;曇りのち少雨

 今にも落ちてきそうな重たい鉛色の雲が、アムステルダムスキポール空港に降り立った私を出迎えた。入国審査を終えて、I loveアムステルダムカード(市内交通一日乗り放題券)と空港都市間の往復シャトルバスチケットを購入して、空港の外に出る。12時間のロングフライトを終えたばかりで、久々の娑婆の空気が美味かった。空気が美味いとヤニが吸いたくなる。ヨーロッパはどこでもそうだが、室内での禁煙が非常に厳しく取り締まられている一方で、屋外では何処でも喫煙できる。空港も一歩外に出たらそこらじゅうに灰皿があった。

 

 バスで30分くらいで市内に入る。ここまでくると、赤レンガの家々に路面電車が往来する、我々が想像するオランダの街並が広がっている。「Rijinksmuseum(≒オランダ語国立博物館)」というバス停で下車する。今回私がオランダに寄り道したのは、オランダが誇る画家たちの名画を生で見るためだった。オランダはゴッホレンブラントフェルメールといった著名な画家のゆかりの地であり、そのため国内の美術館には彼等の無数のコレクションが所蔵されている。今回イタリアで多くのルネサンス絵画を見るにあたって、どうしてもこうした脱宗教世界におけるヨーロッパ絵画を見て、自らそれらと対比させたかったのだ。

 

 まず向かったのはゴッホ博物館である。日本でも有名なゴッホの「ひまわり」や自画像が展示されている。生で見てみると、ゴッホの作品は、絵の具の盛り上がりが非常に大きく、絵の立体感が凄いことに驚嘆する。そして、大胆な画風の中に一本一本の繊細な筆遣いが垣間見え、それが全体として「理解しうる」像となっているところが、流石は名画だと感じた。ついでに言えば、ヨーロッパ諸国の中で唯一鎖国中の日本と国交を持っていたというオランダの特性からか、ゴッホも日本に対する関心が非常に高かったようで歌川広重東海道五十三次の模写など、日本に関連する絵画も複数展示してあった。

 

 そういう訳でゴッホ美術館を後にし、折角オランダに来たので合法である売春を楽しもうかと考えていたのだが、思いのほか時差ボケが激しく(このときすでに日本時間では午前6時であり、さらに言えば前夜はクソ映画研究会でほぼ寝てなかったためだと思われる)、睡魔でそれどころではなかったため切り上げることに。雨も降ってきたのでそうそうに宿に戻りたかったが、いかんせん路面電車の路線がわからない。そもそもオランダ語が読めないのでどこに行けばいいかもわからない。とりあえず駅に行けばすべての路線が乗り入れているだろうと思い、国鉄の駅に向かうものの、乗り場がどこかわからない。軽く晩飯を食べ(といっても16€≒2000円くらいしたのだが)、諦めてタクシーで帰ることにした。

 海外旅行でタクシーを使うことに色々と考えるところはあるだろうが、私としては安全料だと思う。慣れない土地で疲れ果てた上に、雨の中一人、夜歩きをするのはそれなりにリスクのある行動である。タクシー代をケチってトラブルに巻き込まれては元も子もない。多少割高でも、まだ旅と土地に慣れていないうちは使って損はないと私は思う。今回のタクシーの運転手は私の拙い英語に合わせてゆっくりと喋ってくれた。私が日本から来たというと、アニメの話題を振ってくれた。どんなアニメが好きなのかと聞くとドラゴンボールNARUTOが好きと教えてくれた。お前はどんなアニメが好きなのかと聞かれたので、インフィニット・ストラトスと答えておいた。多分知らんだろうけど。

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 時計は10時を少し回った程度だったが私の体力は限界を軽く凌駕していた。宿に着くや否や、ベットに倒れ込み、シャワーも浴びずに寝てしまった。とにもかくにも、こうして私の欧州旅行1日目は幕を閉じた。

 

ヨーロッパ旅行② 関空からアムステルダムまで

 2月8日

 関空までの道中はほぼ爆睡だった。9時ちょっと前に第1ターミナルに着き、チェックイン、保安検査、出国と一連の手続きを終え、ボーディングの1時間前にはゲートに到着した。ゲートのすぐ隣には関空が誇るカードラウンジ「金剛」があったので、男つちのこ、人生初めて自分のカードでのラウンジ入場を果たす。ラウンジは思った以上に騒がしく、正直外よりも混んでいた。家族でいつも入るセントレアのカードラウンジが、アルコールの提供ありでかつガラガラなのを考えると、プレミアム感はいまいちだった。

 今回は乗り継ぎ含め6本の航空路線を利用したのだが、諸般の事情ですべて異なる航空会社を利用することとなった。一度の旅行でこれほど多くの航空会社を利用するのは初めてだったので、非常に楽しみだった。

・フライト一本目 KLMオランダ航空 関空アムステルダム・スキポール国際空港

 記念すべき最初のフライトは欧州系エアラインの中でも評判の高いKLMだった。機体はB787-9ドリームライナー。USBプラグやタッチパネルモニターが搭載されているボーイング社の最新機体だ。私は今回初めての搭乗だった。驚いたのは光量調節機能で、窓のバインダーの替わりに窓にスモークを入れてくれるというものだ。機内の時間設定が夜間の際に、光量を抑えつつ景色も楽しめるという優れものである。

 機内食は離陸直後と着陸直前の2回。ホットミールはチキンのクリーム煮と、チーズカレーピラフでどちらも大変美味だった。付け合わせにチーズやヨーグルトなどの乳製品がたいへん多かったところからもオランダらしさを伺えた。課題点とすれば、トレーが若干小さく、窮屈だった点だろうか。まあ総合的には非常に満足感のある機内食で、私の中でがキャセイパシフィック航空と並んで最高評価を付けている。

 

 機内では有料ではあるがWiFiも飛んでいた。20MBで5€という一番安いプランを使ってみた。通信速度はライン程度なら全くストレスを感じないレベルだった。機内コンテンツには邦画も多く、コナンの最新作や銀魂の実写もあったので、退屈はしないと思われた。当の私はというと、前日に友人宅でDLしておいた「Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ」をdアニメストアで見て時間を潰していた。プリヤ、今まで同人誌では散々お世話になっていたものの、実はアニメを見たことがなくこれが初めてであった。プリヤシリーズは帰国した今でも絶賛一気見中だから、機会があれば感想なぞをまた書きたいと思う。

 

 

 さて、そうこうしていると、飛行機はアムステルダム・スキポール国際空港へと降り立った。入国審査官に「なんで乗り継ぎ客のお前が入国しようとしているんだ」と聞かれて10分ほど揉めたが、結果的に入国できた。ここで丸1日ほど時間を観光し、友人たちの待つ(といっても待つのは私なのだが)イスタンブールへと向かう。