つちのこの巣穴

未確認生物による、未確認な世界の記録。

令和になって思うこと

 例年より名残惜しく咲き永らえていた桜の花が愈よ青葉と変わり、世間はゴールデンウィークとなった。かねてから周知のとおり、平成という一時代が終ろうとしている。平成時代を振り返るのが専ら昨今の世の流行であるようだが、一時代を振り返るにしてはいまだ短きわが半生、その役は遍くマス・コミュニケーションの預かるところと期待して、私としては、抑々の元号というわが国独自の暦年法について、筆を認めることとしたい。

 

暦と歴史

 

 我々にとって暦とはどのような意味を持つであろうか。私はこれを、集団による歴史の再確認であると思うわけである。例えば、欧米であればユリウス暦グレゴリオ暦と暦を共有している。「August=8月」といえば、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスに因んでいる。欧州で8月といえば、即ち皇帝アウグストゥスを示すものものである。暦によって。欧州ではローマ時代以来の歴史的連帯性を共有しているといえる。同じことはイスラーム世界でも言える。ヒジュラ暦とは、ムハンマドが聖地メッカからメディナへと聖遷(=ヒジュラ)した年を元年として数える太陰暦である。ムスリムたちは、暦を通して教祖ムハンマドの偉業に思いを馳せることとなるだろう。このように、暦とは歴史的に、それを共有する集団においてある一定のストーリーを想起させる効果がある。故に暦は、神話や歴史と同等に、集団における精神的統合の機軸としての機能を有する。

 

日本人と元号

 

 そのうえで我々にとっての元号とは、いかなる価値を持つだろうか。我が国の元号が想起させるもの、それは紛れもな歴史の中で脈々と続く皇室の制度であろう。大化改新以降続く元号であるが、江戸時代以前は一人の天皇の治世のもとで何度も改元されることがあった。それは災害や疫病の蔓延、動乱など天変地異によって乱れた国内を改元によって解決しようとする思惑があった。それが、明治以降、政治権力として近代化された皇室制度とともに、一世一元制が敷かれることとなった。エビデンスがあるわけではないが、天皇による中央集権体制を敷きたい明治政府にとって、一世一元制は天皇の治世を臣民に想起させる装置であったのだろうと私は解釈している。

 

西暦と和暦の二面性

 

 近年、西暦と元号の併用の煩雑さを以て、元号の廃止を求める声が大きくなっていると感じる。現に先日、外務省が省内文書の日付表記に専ら西暦を使用することを決定し、話題となった。

 西暦と和暦の併用には、わが国の精神的展開の歴史を如実に反映している節があると思われる。明治時代、わが国は政治制度、科学技術、学術研究等多くの分野で、欧米から叡智を導入してきた。一方で、王政復古と皇室制度を中心に据えた立憲君主制の下で古典的な精神世界を復活した。西暦と和暦の併用は、こうした我が国の精神社会を反映したもの解される。即ち、欧米という異世界からの「西暦」と、旧来の「和暦」が独立共存しているという現象それ自体が、明治以降弛まず流れるるわが国の伝統として息づいたものであるといえよう。

 

「令和」について

 この度の改元により新たに訪れることとなった「令和」。その出典は、歴代の元号で初めて漢籍を離れ、わが国初の和歌集である万葉集からのものとなった。私はあまり古典文学に詳しくないため、その文面の意味するところは別の御仁のご高説を待つこととしたいが、一方で、この出典の「脱・漢籍」が、わが国の精神世界の中国文化圏からの独立を意味していると私には感じられるのである。元号という制度が生まれた時代、わが国の国際政治は専ら対中国外交であった。我が国は、東アジアの文明的中心国であった中国から多くを学び、時に反目し、そしてそれをお互いの糧にしてきた。そうした文化的背景の中で、元号中国文明の影響を受けるのは必至であっただろう。今回、新たな元号漢籍を離れたということで、わが国の暦を取り巻く精神世界は愈よ純粋なるわが国独自の体系へと昇華されたと感じるのである。勿論東アジアの一国として同一文明圏に所属することを卑下しているわけではない。しかし、元号という、東アジア一帯d脈々と続く制度にあって、わが国の制度にのみ垣間見えるオリジナリティが確立するということは、それはそれで喜ばしいことであると感じるのである。

 

 このように、元号とはわが国が東アジア文明とわが国の古典的世界の中で育まれた文化的価値であり、それはさらに西暦との併用により独自性を増すと考えられる。将来にわたって受け継がなくてはならない、大きな可能性を秘めている。そんな期待を胸にして、新たな時代を迎えたい。